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鵜浦 裕(うのうらひろし)札幌大学教授 @ 地教連総会(2002/05/26)

鵜浦

 自分は大学に勤めています。ご紹介の通り自宅は品川区戸越1丁目です。普段は大学で話をしたり、学会で話をしたりするんですが、こういった自分が住んでいる地域でお話ができるということを一番うれしく思っています。

 私はアメリカ研究をしています。ですから、教育学のバックグラウンドはないんです。しかし、何故チャータースクールをやったかと言いますと、私のアメリカ研究が、アメリカの政治・外交・経済という堅い話ではなくて、何か非常におもしろそうなこと、つまり自分が想像できないようなこと、何かおもしろい文化現象や社会運動があったりしますと、それに飛びつきたくなるんです。そして、飛びつくかどうかは、それが日本でも近い将来に大きな問題になるのだという予感があることに飛びついてしまっています。おもしろそうなモノは何でもやるということです。

 教育学をやっているわけではありませんが、教育学をやらないと言うわけではないんです。それが、おもしろそうであるか、日本でもそれが重要な意味があるとすれば、私はそれに飛びつく。基礎的な知識がなければ、一からやる。基礎をやりながら、応用も同時にやってしまうという、かなり乱暴なやり方をしています。

 これまでに調べたことの一つを紹介します。アメリカにはキリスト教徒で、聖書の最初に書いてある神の創造を信じている人たちがいます。、彼らは進化論が大嫌いで、進化論を教えない、聖書の創造説を教えるという運動を展開しています。日本ではなかなかお目にかかれないので、私は直接その人たちにお会いして、彼らの考えをまとめて本にしました。

 そのころ、学校の問題もあったので、そういった学校の先生方、あるいは神学教育に反対される父母の方々の話を聞きました。そうすると「チャータースクール、チャータースクール」という言葉が出てきました。91〜93年くらいの話です。それで、「『チャータースクール』って何かな」と関心を持ったんです。

 調べてみると、どうも公教育の中で独立運動のような、つまり教育委員会から独立して学校を運営する運動というふうに私には映りました。これは非常におもしろく、日本でもおそらくそういった学校づくりの時代がくるだろうと思ったわけです。

 今お話にありましたけれども、教育委員会の中で、公教育の中で学校づくりをやるのか、それとも、外でやるのか、あるいは両方でやっていこうとするのか、という問題があります。けれども、とにかく教育委員会から公立校を独立させるという風なモノに、私としては非常に関心を持ち、また日本でも問題になるであろうということでこの問題に飛びつきました。

 最近は、次のテーマに関心をうつしています。それはLGBTという、Lはレズビアン、Gはゲイ、Bはバイセクシャル、というのを調べています。

 しかし、私にとって大事なことは、今までやってきた研究、私のフィールドはサンフランシスコですから、サンフランシスコでかなりネットワークがあるんです。研究や調査が終わればそれで終わりというわけではなくて、私自身の研究や調査は終わったとしても、そこでつくったネットワークを自分が住んでいる品川の人たちにつなげていくということは、今の私の活動としては一番重要なことだと思っています。そういった意味もあって、こういった場を私自身は探していますし、こういった場でお話しさせていただくことを、非常にうれしく思っています。

 ですから、例えば、アメリカ最初のチャータースクールのマイロカッター先生をこの前、呼んだ時、私は品川区教育長の若月さんとマイロカッターさんとの対談を組む計画をしました。残念ながら実現しませんでしたが、私としては「教育委員会による公教育改革」と「教育委員会によらない教育改革」というテーマで対談をしていただきたかったと思っていました。若月さんを説得しようとかそういうのではなくて、私は品川区の区民ですから、品川区の教育長に協力したいんです。いろんな教育改革のやり方とか、教育委員会によらない改革も含めて知っていただきたいし、幅広い教育長であってほしいという期待もこめて対談を組んだんです。それが私のネットワークを品川につなげていくということです。

 7月には、また日本語教育をサンフランシスコの小学校で展開している方も日本にいらっしゃるので、その方も、品川の外国語教育に力を入れている小学校につなげていきたいということをしたいと思っています。

 私は、品川にいるときは「NPOフォーラムしながわ」で活動させていただいています。桐島さんとは、とにかく学校づくりをしなければいけないので、「教育委員会の中で協力的な姿勢を取りながらやっていくのか」、あるいは「外でやっていくのか」という問題があったときには、「外でもやる準備がある」と言いながら「中でやっていく」。そういう風な姿勢でやっていきたいと思っています。

 ですから、今日は「チャータースクールの前に出来ること」という題にしていますが、それは勿論そうで、いきなり外でやる前にできることがあるし、それでもダメならば外でやると言うことも考えていかなければいけない。そういう風なお話をさせていただきたいと思います。


 それでは、お配りしました紙の順序でお話したいと思います。

 まず、公教育改革の基本的な方向、そんな難しい話ではないのですが、いくつかのレベルでお話しさせていただいてそれを達成するのに、『チャータースクール』という制度が適切なのかどうなのか、大きな副作用があるのではないか、というようなお話もさせていただきます。

 そして、最後に「その前にできること」ということをお話ししたいと思います。それでは2つ目の四角「教育改革の方法」と書いてありますが、すいません、私は方法を語ることは出来ません。これは「方向」の間違いです。すいませんが訂正お願いします。

 「教育改革の方向」なんですが、まず、子どもや住民にとっては、一人ひとりのニーズに合った教育、個別化教育といったものが、大きな方向としてアメリカでも日本でも言われていると思います。

 それを実現するための少人数クラス。それを実現するために先生と生徒たちの間、また、先生と父母の間のコミュニケーションが非常に重要だと思うのです。そういう教育がやはり、子どもにとっても父母にとっても必要とされているんです。

 例えば、非常に小規模な学校で、そして少人数クラスというものをつくる。そこで緊密なコミュニケーションをベースにした教育が行われている。しかも、一人ひとりのレベル、同じ学年であってもレベルが違えばカリキュラムも違ってくると言うことです。しかも生徒一人ひとりの進歩も速度も違うわけですから、カリキュラムは1年で組むわけではない。できれば1ヶ月といった具合に短期的に組み直せるような柔軟な対応が出来るカリキュラムが必要かもしれません。

 つまり、学校のタイプ、つまり教育の中味・教え方・運営の仕方も含めて、まず最初に学校があって、そこに生徒が通って、その運営の仕方に生徒が合わせていくのではなく、生徒のニーズが先にあってそれに対応する学校の形をつくるという逆転させた方法が重要になってくると思います。

 もうひとつは、父母・住民が参加しているわけです。勿論その『チャータースクール』の話になりますが、『チャータースクール』では、父母は1年間に数十時間、学校でボランティアする。それは引率であったり、授業の手伝いであったり、教材の準備であったり、募金であったりするわけです。そういったことを義務づけるカタチになっていて、父母自身忙しくても参加しなければいけない、ということになっています。

 住民の参加ですが、公教育に関心を持っている部外者が、中に入って、それを支えていくということが実際に行われています。個人としては芸術家とか、コンピューターエンジニアとか、いろんなボランティアがいるんです。単に講演をするとかそういうことではなくて、芸術家の場合ですと空き教室にアトリエを構えて、そこで子どもたちに芸術教育をやっている。それに父母が参加する。しかも、一人ひとりの作品が、更に大きなオブジェの一部を成す。一人ひとりがつくったモノが、全体の大きな作品をつくる、といったプロジェクトです。その中で、一体感の様なモノと言うんでしょうか、学校の環境を「家庭のような場所だ」という言い方を校長先生がよく使っています。一つのファミリーとして作品を創りあげる。そういうプロジェクトの為に、地域の芸術家や、詳しい人、その他いろんな詳しい人に入ってもらっています。

 また、「NPOフォーラムしながわ」でも考えているんですが、地元のNPO、そして地元の企業というものも、いろんなカタチでいろんなことができるんではないかというふうに思います。

 大事なことは、子どもや父母が「チョイスを持つ」ということです。つまり、「自分の子どもは、こういう性格だから、こういうタイプの学校の方がいいんじゃないか」と考えられるような「チョイス」があることが一番重要なことだと私は思っています。その辺が、ちょっと、品川区の教育委員会は勘違いしているんです。品川区の場合、選択とか、競争とか、多様化というものは、「いっしょくたにして全部やればいい」みたいな話なんです。けれども、実はその中でも優先順位があるわけです。どれをドライビングフォースにして、どういう結果を重要視するかということを、キチンと踏まえておかないといけません。選ぶことが必要だというわけではなくて、「チョイス」があることが重要で、学校間の競争が重要なわけではないんです。最終的に、子どもたちにとって「チョイス」があることが非常に重要な発想であって、学校間が競争して学校のレベルが上がるとか、という話ではないんです。「チョイス」があることが一番大切なんだ、ということを、私自身は強く言いたいと思います。

 今、簡単にお話ししたことは、子どもとか、父母とか、あるいは住民にとってのことなんですけれど、学校にとってのレベルから考えていきますと、例えば、サイト、つまり学校という場所の自立性が非常に重要だと思います。予算・人事・カリキュラム、それから教え方についても、サイト、つまり、子どもの顔が見えている人たちが決められるようにすべきです。教育委員会の方で決める、または文科省の方で決める、そういう分野があっても良いかもしれませんが、基本的にはサイトの自立性ということを、非常に重要視しなければいけないだろうと思います。

 それがあれば、先程お話しした「一人ひとりのニーズに合った個別的教育」というものも可能になるというワケです。サイトの自立性がなければ、それはできないと私は思います。

 それから、地域とか町会というところに行きますと、どうも地域と学校が隔離されているイメージが私には強くあります。私たちが学校の中に入れるのは、小学校や中学校の運動会の日とかに、お弁当を持っていって、そこで子どもの運動会を見ながらビール飲んで、煙草を吸うのはマズイんじゃないか(笑い)(会場笑い)と思うんですが……。あと、校庭でテニスをしたりとか……。

 これは、「NPOフォーラムしながわ」で考えていこうとしている問題の一つなんですが、「学校づくりと町づくり」というふうに、お互いに刺激し合う。異種格闘技みたいな感じで刺激し合うということです。ですから、学校といっても、例えば小学校と中学校との交流、幼稚園との交流、病院との交流、そういったものも含めて、地域とお互いに隔離されているわけではなくて、協力し合う、お互いの資源を使う、というふうなことを考えていかなければいけないと思います。

 もちろん地域のいろいろな資源として、例えば図書館・博物館・美術館とか、大学もありますし、地元の企業だけでなく、大手の企業……。これは私としては危ない話もあるので、大手の企業との付き合い方というのは、非常に慎重にしてかなければいけない。成功しているチャータースクールなんかが大手企業のショウルームになってしまうということもあるんですね。例えば、マイクロソフトから大きな寄付を受けているチャータースクールは完全にショウルーム化しているわけです。それが良いことなのか、悪いことなのか、ということを考えなければいけない。いったいどういう付き合い方が出来るのか、ということも考えなければいけないと私自身は思っています。

 いずれにしても、サイトの自立性で、英語では“サイトベイズド”つまり、サイトにベースをおく。もうひとつは、コミュニティーにベースをおくということで、地域と相談していく、これは“コミュニティーベイズド”と言います。私自身も可能であれば、私のゼミの学生と一緒に外国語教育に力を入れている小学校で、ゼミを開く。それで学生はアシスタントになって、その学校の先生は、マスターティーチャーの役割をしていただいて、そして実際に学生はアシスタントになって子どもたちを教えながら経験を積む。ですから単に2週間の教育実習で終わりということではなくて、学期中ずーっとそこに通うということです。そういうカタチにすると、大学のゼミとしても大きな利点があります。小学校としてもアシスタントとして使う中で、学生が貢献する……、かどうかはわかりませんが(笑い)、効率的で効果的な外国語教育を展開する可能性があると思うんです。そういったことも含めて、そういうコミュニティーにある他の組織との交流、というふうなものを考えています。

 それから学校にとって、特色をつくるということと結果責任ということの関連を考えてみます。結果責任というのは非常に難しい問題で、父母が満足する教育を出来るかどうか、教育委員会に対して、あるいは予算を出してくれる行政に対して、子どもの学力の向上を保証できるかどうか、という2つの結果責任があるわけです。その2つが一致するかどうかは難しいところです。今は行政の側の学力向上を追求してくる方法、基本的にはテストですから「4つの中から1つ選びなさい」というテストが、どうしてもわかりやすいんでしょう。そういった結果責任の果たし方にプラスして、父母あるいは子どもたちへの教育という点で、満足を与える教育を展開できるかどうかという、2つの結果責任があると思います。公的な資金を使う以上、基本的な学力向上はクリアーしなければいけない問題だというふうに思います。

 今度は、学区の教育委員会レベルで見てみますと、権限の縮小です。これは、ほとんど難しいと思います。教育委員会が、こういうことに同意するとは全然思えないのです。しかし、どんなに権限を縮小しても次のことだけは残ります。予算を配分していく、それから監視すると言うこと、その予算を使って悪いことをしていなかどうか(苦笑)、というのをキチンと監視すると言うことです。

 もうひとつは、矯正。つまり、なおすということです。けれども、治療する能力が行政にあるのかどうかは疑わしい。

 例えば、品川区の中学校で9人しか入学者がいないという学校が出てきました。9人という非常に少人数ですから、教員と生徒の比が1:1だったりするわけです。良いことだと私は思うのですが、しかし男女比ということを考えると、いろいろな問題がある。あるいはクラブ活動ができないとか……、私自身はクラブ活動は学校単位で展開するという時代はもう終わっていて、子どもが希望すれば別の学校のクラブに行くということがあっても良いと思いますけれども。問題はそういう学校が出てきた時に、新聞の報道によりますと、「いや、競争原理でやっているんだから仕方がないんだ」という教育委員会のコメントが出ていて、「今年はダメでも、次の年挽回すればいいことなんだから仕方がないんだ」というふうに、割と突き放したコメントが出てました。けれども、私は指導能力をもたずに、選択とか市場原理・競争原理にまかせるというのはかなり乱暴なやり方だと思います。このようなコメントがもし本当だとすれば、自分たち自身の責任、指導という非常に重要な責任を教育委員会が放棄しているとしか考えられないと、私自身は受け取っています。ですから、どんなに権限を縮小しても余計なことに口を出さなくて良いから、(笑い)予算を配り、そして正しく使われているかどうか、あと何か問題が起きた時に、指導しなければなりません。指導は非常に難しいことなんですけれども、それこそ行政の能力が問われるところだと思うんです。これもなかなか期待できないところなんですが、しかし本質は、それ以外のことはできるだけサイトの自主性とか自立性を持てるように、サイトに権限が委譲されていくということが、やっぱり必要だと思います。

 次の、公立校の多様化による、チョイスの創出、それから、多様化、自由入学方式、ということを書きました。本来ならば多様な学校があって、親や子どもが選択する。小学校の場合は親が選択する。中学校の場合は子どもが選択するカタチになるんだと思いますが、それは、自由入学方式ということで、こういうふうな考え方で良いんだと思うんです。どうも品川区教育委員会の話を聞いていると、まず選択することで、学校が競争、生徒を獲得する競争にさらされて、そういう競争のなかで学校は自分たちを良くしようとして、先生方が努力して公教育が活性化するというシナリオです。

 それもそうかもしれませんが、私はまったく逆に考えています。子どもの獲得を争って競争するのではなくて、全然比べられないような違うタイプの学校がいろいろとある、という話から始まると思うのです。その中で「チョイス」があるわけだから自由入学方式にしておかないといけない、というふうなことです。私自身は学校同士が競争するという雰囲気が、子どもたちにとってどう考えても良い影響を与えるとは思えないんです。(苦笑)「この学校に行けば、良い教育が受けられて良い中学に行ける」「こっちは全然良い先生がいない」とか、それは特色があると思えません。自分の子どもの性格から見て「こうゆう学校」「ああゆう学校」と考えられることと、それが競争につながるというのは全然関係ないと私は思っています。むしろ、そういう多様化に対して競争という言葉をわざわざ出してくる意味が私には理解できないところです。

 あと、こういった多様化の中で、これまでの学校の固定イメージというものをどこまで崩せるのかという問題があります。教育委員会自身が自分たちで運営する学校のタイプをどこまでひろげられるかということは非常に重要なことだと思います。

 品川区の学校づくりというお話しがあったんですが、それぞれの学校に、キャンパス・グランド・体育館・プールがあって、教室の建物があったりという中で展開するわけです。その中でいろいろな教え方を展開するとしても、そういった空間自体は全然変わっていない。それでは不十分だと私は思います。例えばチャータースクールを見てみますと、アメリカのいくつかの教会の空きスペースをキャンパスにして、ひとつの学校にして運営していくということもあります。例えばエルムさんのように、例えば今は荏原町にある教室を本部にして、更にサテライトのような小さな学校で、それで一つの学校にする。品川区の中で特定の子どもたちにニーズを満たしていくということです。そういった空間的にも学校のイメージを崩して、崩せるかどうかは教育委員会自身の問題ですが、それを自分たちの学校の一つのタイプだっていうことを考えられるかというのは非常に重要になってくると思います。

 あと、学校が多様化すれば、学校の評価方法もいろんな評価の基準を教育委員会は持たざるを得ないと思います。それも又難しいところなんですね。

 品川区は、先程お話しにありましたけれども、私も「どういうふうに進めていくのかな」と非常に考えているんです。

 この外部評価システムの、名前なんかどうでも良いんですが、そもそも外部っていうのは、私は非常に気に入りません。いったいどっちが外部だろうかと、(笑い)「私は品川区の住民で、そもそも地域の内部なんだと」「あなたたちこそ外から来てるんじゃないか」と、そこまで言いませんけれども、一応気持ちとしてはそういうふうに思っています。「外部評価委員を委託する」ではなくて「そうじゃない私があなた達に公教育を委託しているんだ」だって、品川区の学校の先生は、品川区外に住んでいるのがほとんどだと思うんです。私は品川区の人間です。外部から来てやっていただいているんだ。私が先生に委託しているんであって、私が委託されるわけではない。だから、外部評価なんてことは、私たちが品川区の公教育に関わっていこうとするとき、それは頼まれてやることではなくて、こちらから喜んでやっていくものです。

 こういった外部評価システムというところで、私たち自身の評価の基準というのを見つけていく機会があるんではないかと私自身は思っています。

 一般的なお話しでしたけれども、こういったものが公教育改革の方法みたいな基本的なものがです。よく言われていることですが、そういったモノを達成するのにチャータースクールという方法が適切かどうかというのは私たち自身が考えなければいけないということだと思っています。

 そのことをカリフォルニア州の公教育システムの説明をした上で、このチャータースクールの適否みたいなモノを考えていきたいと思います。


 次の、四角に移っていきます。図のようなモノがあるんですが、簡単に、私のイメージでカリフォルニア州の公教育システムというものを書いてみました。まず、一番上には州の教育委員会があります。ご存じのようにアメリカでは教育法というのは州の法律です。州が法律を決め、予算の出所も州です。教育法・予算の配分・統一テスト・監視指導という役割を持っています。教育法の中には、教育のガイドライン、これは「学習指導要領」の様なモノも含まれています。ただ、日本のように法律に準ずるモノではなくて、あくまでもガイドラインであってかなり学区教育委員会の自立性というものが認められいます。カリフォルニアには学区教育委員会というのが、1000くらいあるんです。そこでは、人事・予算の配分・監視指導といったこと、それぞれの地元、地域的なニーズに基づいて、地元の教育方針も含めて学区教育委員会が公立校を運営していくんです。

 カリフォルニア州の場合、州の教育委員会は知事が任命します。学区教育委員会の委員は、市民が委員を選挙する。公選制なワケです。この公選制は、準公選制も含めて、日本では中野区で採用されたこともあったんですが、けれども、どうもうまくいかない。

 しかし、学区の教育委員を選挙するというのは、ボクは非常に重要だと思っています。日本では自治体の首長や教育長が委員を選んでいる、「一体何をしているんだ」というふうにしてみんなで声を挙げた方が良いと思うんです。とにかく日本の教育委員は何をしているのよくかわからない。

 更に教育委員会が一体どこを向いて仕事をするかいう問題があるわけです。よく、地方議会あるいは区議会もそうかもしれませんが、例えば民主党あたりの議員から「チャータースクールとか、コミニティスクールを考えた方が良いんじゃないか」「一体教育長はどう考えているんだ」という質問が出ると、教育長は「いや、関心を持ってますし、研究をしたいと思っています。と同時に国の動向を見なければ行けないと思います」と答えるわけです。これは官僚の答弁として、完璧かもしれません。

 しかしボクは「住民のニーズを調べてみたい」というふうに答えるべきだと思うんです。つまり上を見ているんです。これは非常にマズイ。市民が教育委員を選挙して教育委員が教育長を任命するというのがアメリカのシステムです。このように、少なくとも教育委員会が、住民や父母や私たちの要求を公約に掲げてくれるような委員を選んでいくことができるようにならなければいけない。それには、私たち自身も市民として成熟しなければいけない。「教育委員の選挙は行かない」とかっていうふうになっているようであれば、なかなかできないと思うんです。ですから私たち自身にも要求されるものもある。つまりこういう制度を使いこなすためには、私たち自身もしっかりと意識を持たなければいけないと思います。

 アメリカでは、少なくとも学区の教育委員会は選挙権をもつ住民の方を見るようになっています。それは日本と大きな違いだということです。教育法は州の法律であると大きな違いになりますけれども、教育委員会が選挙であるか選挙でないかというのは、教育委員会が一体どこを見るのかという点でも大きな違いだと思います。

 日米同じことは、公教育システムというのは非常に大きなモノであるということに変わりありません。教育委員会があって、そこにスタッフがいて、そして学校があって学校にいろんなスタッフがいる。更に、教員になるためには大学を出て、そしてどういう科目を修めて、そして教員免許の試験がある。つまり、単に教育委員会と学校という組織ではなくて、更に大学も含めて、公教育というのはそれにぶら下がっている、つながっているところまで含めていくと、そういう免許・資格制度・そこで使われる教材、ですから出版社とか、そういったモノの生活が全部かかっていることになるわけです。ですから、その教科ができれば、それで私が教える科目も一つ増えたりしてるわけですね。それによって、私立大学も授業の数が増えたりして、それで大学として運営している理由が増えたりもするわけです。

 つまり、そこまで大きく広がっていくものなのです。仮に「いや、教員免許はいらないんだよ」ということになると、その資格免許のための試験の問題集をつくっているところまですべて影響する。

 私の言いたいことは、何かちょっと変えようとすると変わらない、このシステムを大きく変えないとなかなか実現しない。つまり動きが取れない、あるいは動かさない方が良い。動かすとすればどういうところかというと、必修項目を変えましょう、そうすると教科書を作り替えるので出版社が嬉しい話になるんです。ですから、そういうのはよくあるんです。それ以外のところで触ろうとして、何かとんでもないこところに損害が出たりするようなこともあって、そういう利害関係も含めて非常に大きな運営組織や運営方法を考えなければいけない。非常に大きな予算がそこに投入される、非常に多くの人員でもって進められている。それが教育法**なんですね。

 そこの中で、いろんな問題がおきても、例えば行政が何か問題を起こした場合、それを隠そうとする。そもそも問題が起きたと言うことを報告しない。外務省なんかを見ていると分かるのですが、それがたまたま世間に出ると私たちは驚いてしまう。実はそういう似たような小さなことはいっぱいあるけれども、絶対に報告されない。

 つまり、こういう大きな組織というのはすべてそういうふうになっているんです。結果責任、これだけのお金を投与して、これだけの人員を揃えて、その人員をこういうふうに教育をして、採用した教員が、これでもって公教育を運営して、結果が出ないはずがない。そういう前提に立つしかないんです。

 ところが、実際には結果が出ていないものがあるわけです。不登校の子どもたちがこんな大量にいて、勉強しない子どもたちもいっぱいいて、わかっていてもその結果を「私たちは失敗しました」というような発表をするはずがないんです。やらなきゃいけないのに、運営している立場からはやれないことなんです。むしろ内部からそれをやろうとすることは、裏切り者になる。つまり、自分のいる場所を裏切るようなことで、ある意味ではそれをやっている人たちから見れば、タブーだというふうに私自身は感じているところがあります。

 だから、非常に細かく動くとか、自分たち自身の業績・結果責任を問うことと言うのは非常に不得意なんです。これは別に文科省だけではなくて、大きな組織すべてそうなんです。私個人の教育の業績を問えといわれても、自己点検・自己評価とかは非常に抵抗があるわけです。そういうものだ。ということを知っておかなければいけないと思うんです。

 そこにチャータースクールをやることや存在意義を探すとすれば、そこに一つ理由があるんではないか。もう、「中」からでは出来ない、だったら「外」に自由なモノをおいてやらせてみるしかない、という発想です。しかし非常に乱暴な発想だと思います。

 ここに図を書いたんですが、いくつかマルがありまして。マルが3種類あります。一番外側にあるPSというのが、プライベートスクール(以下PSで統一)で私立です。次に、CSとあるのがチャータースクール(以下CSで統一)ということです。そして、RSはレギュラースクール(以下RSで統一)。普通の公立校です。ASというのはオルタナティヴスクール(以下ASで統一)と呼ばれるモノです。

 この図に書いたとおり、レギュラーパブリックスクール(以下RPSで統一)、つまり普通の公立校は大枠の四角が州の教育委員会、学区教育委員会が四角の中にあります。二重の支配を受けている、二重のコントロールを受けているというふうに感じます。それだけで動きが取れない。つまり、自分たちの自由がないという意味です。州教育委員会のコントロールと、更に学区教育委員会のコントロール、それは横で書きましたけども、教育法を含め、統一テスト、学区の人事とか予算とかを監視しています。しかも今お話ししたとおり、大きななかなか動きが取れない融通のきかないシステムとして運営されています。これは自分たちがあまり動けないですよね、あるいは現場の先生も、なかなか自由の利かないところがある。

 学区教育委員会の中にあるもう一つの学校。ASというモノは、これもやはり二重のしがらみを受けているんですが、他のRPSと違う点が2つ3つあります。1つは通学区域を持たない。サンフランシスコですとサンフランシスコ全域から公募して、定員を超えたら抽選する。もう1つは特別な変わったカリキュラムがある。その一番の特徴的なのは外国語教育です。例えばサンフランシスコではアジア系の人たちが多いので、中国語を強調したり、日本語を強調したりする小学校です。ボクはその日本語教育を強調する小学校に行ったんですが、結構、小学5〜6年生でかなりしゃべれるんです。普通の日本の高校の英語の授業より遙かにしゃべれるんです。なので、今度そこの人を呼んだら「一体どういうふうにしてやるんだ」という話をしてみたいです。と言った特徴を持っているんです。これは2つ目です。

 そして、もう1つはサイトの自立性が高い、最終的には教育委員会が決定権を持っています。しかし、かなり他の学校に比べると、権限が縮小されている。例えば予算の使い道・人事です。あともう1つは親の参加率が非常に高いということです。今度来る先生の学校は、非常に人気のある学校で、いつも抽選になって、抽選にはずれた人が州の学区に行くというぐらい人気のある学校で、良いと思うんです。しかし、最終的な決定権はやはり教育委員会が持っているんです。私自身は、このASというものをもっと調べるべきだと思っています。この辺でやれることがいっぱいあるだろうと思うんです。

 CSというのは、この図を見ていただきながら4つ目の四角に移りたいと思います。簡単にこの図を見るとわかるえいますが、学区教育委員会のコントロールから完全に免れています。人事は自分たちで、そして予算についても、お金が州から直接学校に来るということです。もうひとつ、州の教育委員会の横にも書いているのですが、学区の教育委員会が最初にCSを認めるということで、CSとして存在するわけです。しかし、学区の外にCSがあるというのは、学区の教育委員会のチャーターを認可する役割りというのは、州から委託されてやるということです。最終的にチャーターを認可するのは州です。その認可は公式の業務として学区の教育委員会にさせています。だから学区の教育委員会としては認可したくないけれど、一応自分の学区、縄張りの中でチャーターが運営されるわけです。その学区が認可の業務をするわけです。本当は認可したくないけれど、条件を満たす、つまりCS法という法律があって、その条件を満たしていれば、イヤでも認可せざるを得ない感じです。

 ところが、その条件を満たさないということになると、認可しないということになるんです。認可されなかったら、あるいは更新されなかったらどうなるか、そのCSは州の教育委員会に申し立てをする。州の教育委員会でもう一度審査して「OK」ということになれば、今度は学区が拒否したチャーターを州教育委員会が拾うということです。これはチャーターから見れば非常に良いことなんですが、州教育委員会と学区教育委員会の関係が悪くなるのは確実です。(笑い)「何で一方で拒否されたモノが、たった2〜3ヶ月の間で、もう一方で認められるんだ」という、「2〜3ヶ月の間で何も変わらないだろう」と言うんです。これはもう、ほとんどそういう場合って言うのは、州の教育委員会と学区の教育委員会が元々何かあるんです。(笑い)サンフランシスコの学区では、チャ−ターが良いとか悪いとかと言うよりも、すごい仲の悪い、お互いの対立っていうんですか、いやがらせって言うんでしょうか、そういう為にCS自体が使われているようなこともあります。個人的な争いと言いますか、教育委員も選挙で選ばれる政治家ですし、州の教育委員も知事が任命する。基本的には政治的な背景を持った人たちがいて、行政同士が縄張り争いもしている。、そもそもお互いに憎み合っている人たちが多いのでこういうことが起こっています。

 CS自体の特徴というのは、この中にもご存じの方がいらっしゃると思いますので、あまり詳しくはお話しいたしません。90年代から始まって、現在2000校以上あり、市民による申請、教員の自立などというふうに言われています。革新的な教育や革新的な学校運営が行われているというふうによく言われますけれども、これは非常に危ない言い方です。良いモノもあれば、悪いモノもあるというふうに思わなければいけない。一番心配しているのは、CSと言うと「革新的」というふうになっちゃう。「これまでの公立学校」と書くと、どう読んでも、「公立学校」につける形容詞は悪い意味を持ってしまうんです私は本の中で「従来校」と書いたんですが、従来自体が昔。ボクは従来って書いた時にニュートラルなつもりで書いたんですが、ダメなんです。新しいモノに対して従来っていうのも……(笑い)それからレギュラーと言っても、英語ではRPSと言うんですけれども、もうイノベイティヴとか、チャーターで良いんです。CSに対して、RSはもう普通。(笑い)チャーターが何か上みたいな、これはもう本当に言葉の政治は怖いんですね。これは気をつけなければいけないんです。とにかく、ボクが一番大事にしているのは、多様性をつくること、父母や子どもたちにとって「チョイス」になるということが非常に重要なことだと思っています。そして、これまでの10年は、そうした種類が増えてきました。良いモノもあれば、悪いモノもある。要するに、一言で言えば自由にやった結果がそれくらい良いモノができれば、悪いモノもできるということなんです。最初にどーんと法律を作って自由にやりましょう。悪いことをする人間が出てくる、悪いことが出来ないように法を整備していきましょう。そうすると、その点自由度が狭まるので、この辺に普通のCSがあるとすれば、悪いCSがあり、同じくらい良いCSができるかもしれない、という可能性を持ったモノだという認識が一番正しいと思うんです。CSであれば、革新的で良いモノをやっているってワケではないというふうに思いたいと思います。

 問題は、更に良い悪いは別として、例えばホームスクーラーというかたちで、子どもたちを集めて自分のCSをつくる。そして、カリフォルニア州でいくつかのサテライトをおき、月1回、顔を出す。そういうことで7000名〜8000名の生徒数のCSがあります。これは普通の学校を構えて、ここに子どもたちが通っての学校運営にかかるお金とそういったCSの運営費と比べると、CSの方が遙かに少ないということです。それも大きな利潤になる、8000名で一人5000ドル集めるとすれば、これは大きなお金になります。しかも人件費がそんなにかからない。これは完全に金儲けをしているに決まっているんですが、公教育ではないんです。だけど結果として***しないと言うような状況があるんです。これまで想像しなかった学校が、公教育の中で運営されるというのを見ると、それにかける運営費というのは今まで一律カリフォルニア州内どこでも5000ドルでいきましょう。それが平等です。というのは、どうもそういうのは、そもそもまずいんじゃないかって話もある。だけど、問題はこっちの方が、子どもの成績が良かったりするので、「いやぁ、学力が上がってるんだから問題ないだろう」と開き直られるわけですので、議論はそんなに単純じゃないんです。

 状況としてはチャーター法自体は非常に不完全です。最初に法律をつくって、どんどん修正していく。悪いとこがどうしてもあるわけですから、それは単純な誤解もあれば、確信犯もあります。ところがとんでもない悪いことが起きるということは、行政に監視能力がないことになります。これは少し同情しても良いんですが、できませんよね。

 あるサンフランシスコで認可されているCSは、ロサンジェルスなんかにサテライトをつくって、そこに応募してきた子どもたちの生徒数も含めている。サンフランシスコは、普段はしょっちゅう、学区内のことを監視できても、ロサンジェルスまで監視するというのは、いつも目を向けて監視しているというのはできないワケです。つまり、それくらい抜け道があるわけです。だから、サテライトは同じ学区内でしか開設できませんとかそういう法律を今度考えるとかしてます。法律は不完全だし、行政の監視能力というのは法律が不完全であるということで、そもそもチャーターは自由なわけです。監視するのは非常に難しいし、チャーターの運営者にも、公教育を運営していく上での成熟度みたいなモノも足りなかったりする人たちもいる。そういう危ない橋を渡りながら運営していくということが言えると思います。

 ただ、ここ10年でおそらく成功したCSがセカンドキャンパスをつくるという動きがそろそろ見られてくると思うんです。成功したCSは、ならず2つの理念がある。

 一つは割と教育や教え方についての良い考え方だったり、学校運営が良いということ。そして集金能力があるということです。この2つがあればだいたい成功するんです。

 成功すると、教えることがうまい人たちは関係ないけれども、これと同じモノがもう一つつくれるというふうに、運営のノウハウが得意な人間は絶対考えるんです。そういう人が、もう一校同じ学校を近くにつくって、3〜4校運営する。そしてそれについては、その人はまた別のところにまた同じようにしてつくっていかなければいけないという。それは同じ高校のレベルでも良いし、逆に小中高をつくっても良いと。

 これは、ボクに言わせれば、ミニ教育委員会というもので、教育委員会の中にミニ教育委員会をつくることです。それは教え方・運営が良くても、学校学区教育委員会の人たちは決して協力しようとはしません。例えばキャンパスとして貸すところが汚かったり、不便だったり、という嫌がらせというか自己保身というようなことが起こっています。

 だから、州教育委員会と学区教育委員会というのは、そんなにうまくいっているわけではありません。

 例えば、CSの中で実験的な良いモノが、他の学校に渡って、それが学区全体にとって良くなるといった関係は、一応そのCSの理論的な説明や存在意義としてはよくいわれんるんです。けれども、何かそんなにきれい事ではないということです。

 あとCSの申請の手順などはとばして、実際ビデオでクリエイティブ・アーツ・チャータースクールという学校を見たいと思うんです。

 これは、自分の大学の教材として、CSのドキュメントフィルムを編集しようと思っていろいろとやったものです。

ビデオ映像の説明

 これが、カリフォルニア州の教育委員長です。

 これはまだ40前の男で、インターネットでDVDをレンタルするというとんでもないあくどい商売をしているんです。

 今、州の教育委員長になっています。チャータースクール大賛成で、しかも州の統一標準テストっていうものをネット配信しようと考えているんでしょう。サンフランシスコで協議したチャーターを州で拾った。州の教育委員長が、そうゆうネットビジネスの天才だっていわれています。

 これはサンフランシコの教育委員会の場所です。教育委員会の委員長というジウインさんというおばさん。この人は、チャータースクール嫌いなんです、基本的に。このおばさんです。だから、さっきの教育委員会の委員長とは憎み合っているんです。だから「いったい何がまずいんだ」ってことを今一生懸命言ってる。ボクにとっては、こうゆう人たちは、みんな友だちなものですから、いろいろ話を聞いていくと、「あーやっぱり憎み合っているんだな」とか思うわけです。

 これはクリエイティブチャーターアカデミーという、大体、日本で言うと、幼稚園の年長から中学2年までの、9学年ぐらいで、1学年20人で、180人ぐらいいる学校です。この学校は実は校舎が2つ、これとこの後ろがちょっとしたグランドみたいになっていて、その向こうがもう一つ校舎なんです。もう一つの校舎は、ふつうの公立学校になっていて、こっち側がチャーターになっている。ある意味では校内校なんです。もちろん彼らは、自分たちでキャンパスを持ちたいんだけれども、教育委員会が貸してくれた場所というのはこうゆう場所なんです。

 これは通学風景です。こうやって車で送りに来ます。だから、結構サンフランシコ学区全体が通学区域です。結局、少なくとも車で送れるような階層の人たちの子どもが来ていると言うことです。

 これは校長先生で、後でまた出てきます。朝こうやって出てきて、送りに来る父母と話をしたりするというのがコミュニケーションになっているみたいです。

 これが、低学年。幼稚園の年長さんの教室で、この学校は芸術を強調する。カリフォルニア州では、芸術は必修科目ではないんです。だから、芸術を強調するということは、「売り」になるわけです。算数を教えるにしても、国語を教えるにしても、なんか芸術的なものを材料にしながら、あるいは歌とかにのせて、何か社会のこととか、理科のこととかを覚えたりする様なことをしています。

 あんまり衛生的ではないんですが、(会場笑い)こうやって、まぁ絵を描かせて遊ばしているだけみたいです。(笑)先生楽だなー、オレもこういう授業したいと思うんですが。(会場笑い)この人が担任です。

 今度は1年生です。わりと、何かまとまって、なんかやっている。彼にも一言言ってもらおうと思ったら、前で子どもたちがケンカをし始めて、子どもと話しをし始めて、インタビューにならなかったんです。

 これは、第2学年の教室です。担任の先生が、音楽を非常に強調しながら教えるということで、このように何か作っているときも、BGMが後ろにかかっています。この人ですね。

参加者

 一日このような感じなんですか?

鵜浦

 このような時間が多いような気がして、いつでもこんな感じでやっていて、大丈夫なのかって思うんですが。(笑い)

 だから非常に危険なのは、日本から見に来る農協の団体とか2時間くらい見てたんです。こういうのを見たら確かに良いけれども、どのよう場面を見るかでイメージが決まるのです。特に低学年の場合は、こういう雰囲気が非常に中心ですよ。

 この学校は品川区の区議会議員団が見に行った学校です。さっきの教育委員長も、私がセッティングして、区議会議員団と会わせて、て話をしました。

 これは、音楽にのせてやるということが非常に大事なことなんです。例えば惑星の位置とか、順番とか覚えるときも、歌にして覚えるという。子どもたちは歌として覚えてしまう。そういうことが非常に重要だと思います。

 これは2年生のクラスに1年生が遊びに来ると言う。いっしょにまあ授業をしているところです。(音楽が流れる)子どもたちも楽しそうにやっているんですが、このまま大学生になるんで、(会場爆笑)大学行ってもビックリする。特にカリフォルニアあたりはそうなんです。リラックスして学ぶということは良いことなんです。教授をファーストネームで呼び捨てにするんですが、それがお互いに認め合った仲というんですが、ボクは絶対に自分の教授はファーストネームで呼べませんでした。(会場小笑い)こういうのは日本人には無理ですね。

 そしてこれが、低所得層の子どもたちなんですが、これはランチに出ていくところです。ここは学校の中に間借りをしているので、食堂のような部屋はないんです。で、こうやって廊下に机を並べて、ここで給食をとる。家から弁当を持ってくる子や、いろいろなランチを持ってくる子など、バラバラに食べています。だから、美味しそうな弁当を持ってくる子と、そうでない子もいる。親が必ずウロウロしているわけです。手伝っていたり、ボランティアをしたりしているんです。

 これがいまの校長先生で、こちら側が以前の校長先生です。今親になってしまったという(微笑)これが新しい校長先生です。

自分たちがどういう学校なのかというのを今説明しているところです。

参加者

 結構若いですね。

鵜浦

 うん、結構若いです。これが、教員のスタッフ会議です。幼稚園の年長さんクラスが早めに空くので、その部屋で会議をやるんです。これも良いのかなぁと思うんですよね、飴をなめながらこうやって一生懸命(会場大爆笑)これはですね、この学校の理事会の理事長なんです。ある意味でCEOなわけです。で、自分も2人娘がいるんですが、2年生と5年生ですね。いったいどういう風に運営しているのかというのを今説明しているんですが、理事会の雰囲気もあるんですが…、これです。

 51%が父母でなければならない、そして校長と教員が1名か2名で、そして地域の人が1人いる。

 これは、どういうアイディアがあるか、どういう項目議題があるのかを調べているみたんです。もうこんなもんです。これくらいすべて決めていくと。これだけです。

 あとは、ボランティアを募集します。これがないとやっていけないので。

 最後に、募金の場面。これですね。要するにクッキーを売っているんです。1回150ドル〜200ドル。ここのキャンパスを借りる家賃が、年に7200ドル。もし200ドルの儲けを出すなら、年間36単位。それで、クラス何回とか言って担当させられるわけです。9クラスあれば36ですから、1クラス4回こういうことをやっているんです。結局自分たちが負担するんです。募金と言っても。ただ、親が直接金を出す授業料なんで、一応募金という形をとってやっているんです。ボクもクッキー買いましたけど。5ドルで。(微笑)

 こういう募金に子どもを使うということ自体が、いろいろと議論の是非があると思うんですが、これが典型的なチャータースクールです。150人〜200人くらい。要するに9学年ぐらいになると200人くらいになる。親と教員が中心になっている。

 私としては先ほどお話ししました。チャータースクールの副作用みたいなもの、アメリカの中でどんどん法律を作ってから、今一生懸命いろんな組織が、つまり学校と州の教育委員会と国とチャータースクールと、というか人間関係が、今になってケンカしながらいろいろと調整している。これが日本でうまくいくかというと、日本の場合は先にちょっと調整してから法律つくった方がいいんじゃないかなというのが、ボク自身の中にあります。 基本的には使いこなせていない、どうもアメリカは乱暴にやっている。それで、もしそれに意味があるとすれば、やはりボクが考えるのは、公教育という大きな組織はなかなかうまく動きがとれないんです。レギュラースクールは2重のしわ寄せ、そういう中で何か新しいことをやろうとすれば、外に向けてやるしかないんじゃないか。まぁその副作用は外に向く以上自由になりますから、良いモノができる場合もあれば、悪いモノもできる。それでもやるのかどうか、あるいはそういうモノを使いこなせるという自信が私たちにあるのかどうか、そしてそれが行政に監視する能力があるのかどうか、ということは真剣に考えていかないといけません。

 少ししかお話ししませんでしたが、オルタナティブスクールと言った可能性も非常に持ってます。私自身は学校をいきなりやる前に、「例えばNPOフォーラムしながわ」では、公教育の中で「こういうプログラムをやったらどうですか?」ということで、例えばエルムさんがやってらっしゃることとか、ルンビニー幼稚園の小俣さんがやってらっしゃること、いろんな異種格闘技みたいな組織、幼稚園といろんな人との交流とか。それから伊藤さんのIWC国際市民の会、外国人の子どもたちに教えるというようなモノを、行政の人たちに理解できるような言葉で推薦していきたいと思います。

 そういった、私たちのような組織に教育委員会がチャータースクールでないけれども、なんらかのチャーターみたいな、資格証明書のようなモノを教育委員会が発行して、正式な公教育の中で、何か役割を果たせるようなパートナーとして位置づけてくれるといいと思います。

 それ自体は教育委員会とかつての部外者である私たちと、お互いに付き合って知り合う。できれば信頼関係が培えるような、そういうものであってほしいし、チャータースクールができるとすればその先になるわけです。

 しかし、チャーターに行く前にこういったことだけでも、もっと大きなコトができると言う風に私は考えています。

 また、普通の公立校であっても、私の本の中に書いてある、先ほど桐島さんもご紹介して頂きましたけれども、NPOが普通の公立校をつくってしまった例もあるんです。そういったNPOというのは非常に自分たちにも厳しいし、教育委員会に対しても厳しいんですが、いろんなグラントを取ってきたりして、それをつぎ込むわけですから、教育委員会も彼らのやってきていることに対して黙っているんです。それはやっぱり私たちが持たなければいけない、それがある意味では教育委員会が認めていくというひとつの方法であるかもしれないです。まぁ非常に難しいことではありますが、そういったことも含めて、何か私たちにやれることがあるんじゃないかというふうに思います。(会場拍手)


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