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平塚眞樹講演「教育事業における第三セクターの現在と未来」 @ 地教連総会(2001/05/20)

平塚

 ちょうど80年代最後の頃に地教連のこういうシンポジウムなんかに参加させていただくようになったことがきっかけで、それ以後ずっとこちらの学習センターとかエルムさんとか小金井さんとかあらぐさとかいろんな所に私もお世話になったり、私のゼミの学生たちもお世話になったりしてきています。それでそういうところでお話をさせていただくのは、非常に緊張するのですが、今日は一応ですね、佐藤さんから伺っている要望にかみ合っているのかがちょっと分からないところもあるんですが、タイトルとしてはですね、「教育事業における第三セクターの現在と未来」ということで準備しました。少し話題提供をさせていただいて、さっきの佐藤さんのお話の通り、議論のたたき台にしていただければ、というふうに思っています。

 今日のお話の趣旨というのを最初にレジュメのほうにも書いたんですが、第三セクターっていうのは、すごくおおざっぱに言って、第一セクターというのが官設・公設の事業主体、例えば学校で言えば公立学校というようなのが第一セクターになると思います。第二セクターというのは、すごくおおざっぱに言って、市場原理で動いている企業、企業体というんでしょうか、が作っている世界です。第三セクターとういのは公立でもなければ企業体が行うのでもない市民社会のセクターって言うんでしょうか、協同組合のようなものが入ったり、NPOのようなものが入ったりという、そいういったボランタリー団体みたいなものも入ったりするんじゃないかと思うんですが、教育事業における第三セクターが、今おかれている位置、地教連というのはまさに、鵺(ぬえ)的なところはありますが、やはり機能としては第三セクターに属する仕事をしてきた組織だと思っているんです。そういった地教連も含まれる教育事業における第三セクターが置かれている今日的な位置っていうのがどういうところにあるのか、それは非常に複雑なところにあるんじゃないかっていうことが、今日お話ししたい一点目。

 二点目はじゃあ複雑な中でどのようにそこに主体的に立ってゆくかというか、主体的に状況に切り込んでゆくかっていうことについて考えてみたいということです。

 最初ですね、あまり内容があるようなものではありませんが、いくつか最近のニュースからということで、今、廻していただいている資料なんかをパラパラっと見ていただければ、大体そこで触れたいことは尽くされるんですが、NPOという法人って言うんでしょうかね、NPOという社会的な主体が1998年の3月に法が成立して、12月に施行されて、2年半ぐらい経つんだと思うんですけれども、それ以降ですね、ある意味ではNPOに追い風な状況っていうのが色々出てきているという、そういうことが最初、そういう資料をもとにして言いたかったことです。例えばどんなことがあるのかっていうことの例示に、その回覧していただいているものは過ぎないんですけども、多少、自分にとっても意味のあるような情報があったらそこから抜き出しておいていただければと思うんですが、まず一つはですね、B4の2枚半ぐらいで廻しているはですね、助成金一覧というものなんですが、これはシーズというNPOのネットワークの元締めのようなところがありますが、そこが作っているデータの中からピックアップしてきたもので、1年間にNPOなど第三セクターを対象にして出されている助成金がどういったものがあるのかといったことが、大体全部尽くされているものの一覧です。これぐらいのものがあるっていう、それだけの意味なんですけれども、この中には私たちが関わりを持っているような子育て・教育に関わりを持つものもあれば、関わりを持たないものもありますので、全てが関連しているということではないですけれども、ただものすごい勢いでこれは一定まだ増えているという、年を追うごとに見ていると増えているというふうに私は思っています。これが例えばまず一つですね。そういった社会的な支援の仕組みというのがそういった形である。

 それからA4で4ページほど、これは自治体の動きというものを回覧していただいているんですが、特にこの半年間ぐらいですね、去年の後半から今年の今ぐらいまでのところでいろんな自治体がどんな動きをみせているのかというニュース資料ばっかりをピックアップしてきたものなんですけれども、どれも一番最初に自治体の名前をあげるようにしましたのでそれをパラパラっと見ていただくだけでどういう地域でそれに関連するようなことが出ているのかっていうのがパラパラっと見ただけでも分かることなんですが、例えばですね、本当に一例二例ですけれども一番最初のところには横浜市が市民活動を行っている団体に対して事務所の経費を助成するということを始めるということが去年の9月の段階で出ていたりですね、1枚目の一番下には神奈川県がボランタリー支援基金といって、これは今、NPOの業界の中ではかなり全国の注目を集めているいるんですけれども、県が例えば住宅供給公社のようなところにお金を貸し付けているわけですよね、相当膨大に。その貸し付けている債権って言うのかな、百億円ぐらいあるはずですが、その百億円を債権として当てて、その利息分の1億円をボランタリー団体への支援のための財源としてとって、その中から運用してボランタリー団体への助成を行う。これで一番大きいのは県とボランタリー団体が共同事業を行う場合、その事業への負担として一件、一千万以下で5年以内というそれぐらいの枠がとられていたりですね、かなりある程度、大がかりな取り組みへの支援が考えられているようです。それをどういうふうに実施するのかということをめぐって、神奈川県内のNPO団体と県との間で相当今、真剣な話し合いがなされているらしい、ということがよくメールのニュースなどで届くんですけれども、そういうのがあったりですね、あと2枚目の一番最後の所では、岐阜県のですけれども、岐阜とか三重とか愛知とか中京地域は割とNPOについて積極的に取り組んでいる自治体が多いんですが、NPOが公益信託という仕組みを使って、NPOへの育成自立のための支援の基金を創設したというニュースがでていたりですね。その後には宮城県が出ていますが、宮城県もNPO先進県と言われていますけど、そちらで県民税を優遇する措置、これは各地の自治体にこれから広がっていくんじゃないかと言われてますけれども、そういったものを取り組み始めたり、事業委託をNPOにするにあたってのガイドラインを作る段階に来ているとかですね。あるいは東京の例がその後に出ていますけれども、東京ではNPO法人を持っている福祉関係の団体に人材を派遣する。人件費をもって人を派遣してあげるという、三ヶ月とか期間は限られているわけですけれども、民間で例えば経理だとか会計だとかそう言った仕事をやってきたような人のノウハウを団体に取り込むにあたって、人材派遣を受けることができる。そういう仕組みを取り組み始めたとかですね、一番最後には岡山の労働金庫、今いくつかの労働金庫がこういったことをやりはじめているんですが、NPOを立ちあげる際の助成金制度というのを、これは30万円を限度とするたいへん微々たるものですけれども、そういったものをはじめるというような情報が載っていたりしています。だから一つ一つ見ていくと、非常に実際のところは使い勝手が悪かったり、自分たちには無縁であったりするんですけれども、自治体の濃淡があるような形でのNPOへの支援のシステムが作られつつあるなぁと見ていて考えさせられます。そういった追い風をどういうふうに受け取ったらいいのかということで、最初に申し上げた立っている場所の複雑さっていうことになるわけです。 けれども、レジュメで次に「NPOが『法化』された社会過程」って書いたところに移りたいと思うんですが、社会過程というか、NPOはどういう色々な政治的な力学の中で法律化されたのか、ということになるかと思うんですが、このへんは私はこういうふうに見ているということで、こういうふうに評価が定着しているということではないんですけれども、私は三つぐらいの要素が絡み合って法律になったと見ているんですが、一つは八十年代の半ばぐらいに日本の社会運動が質的な変化をするようになったということが一つあるんじゃないか、これは地教連とも関わりを持っていることなんじゃないかと思っているんですが、それが一つあって、二つ目に実際の契機としての阪神大震災、これが95年ですけれども、これがあって、一般にNPOの世界の中でどういうふうにNPOが法律化されたかっていう時には必ず95年阪神大震災しか語られないところがあって、私はすごくそれは恣意的だなと思うところがあるんですけれども、でもきっかけとしてはこれは大きかったんだろうと。三つ目が「行政改革」における「民主導」の原則化と書いたんですけれども、三つ目の契機というのは「行革」ということがあったんじゃないだろうか。この三つのものが力学として積み重ねられるというか、いっしょくたになったところにある法律が生み出されてきたということになっているんじゃないか、というふうに思っているわけです。もうちょっと具体的にaとcということについて考えてみます。

 一つ目の八十年代半ば頃に質的に変わったんじゃないだろうかと、この辺は実際に現場にいらっしゃった方々の中からですね、そうかとか違うかとか伺いたいところなんですけれども、ひとまず問題提起ということで言えば、社会運動というのは社会問題というのがまずあって、その社会問題に対して問題解決していくというか、それを何とかしていこうっていう人間の思いが折り合わさったところに一つの共同化された動きっていうんでしょうか、組織化って言うか、そういうものが生まれて来るっていう、そういうことでできてくるものだと思うんですが、ちょうど八十年代の半ば頃っていうのはいわゆるプラザ合意、つまり日本の経済が国際的な秩序の中にかなりはっきりと組み込まれるようになったというのが85年であったり、男女雇用機会均等法が実施されるのが85年であったりということでジェンダーの問題とか、国際協力の問題だとかっていうのが、相当はっきりした一つの画期としてあのあたりで時代を画しているということがあったりですね、それから環境問題というのは、具体的にこのあたりというのは言えませんけれども、やはり公害問題から環境問題へと変化したのは八十年代。それから不登校と登校拒否ということでいえば、まさに総本山のような格好になっている東京シューレというところは1985年にできるんです。それからノーマライゼーションという、ハンディキャップを持っている人たちの社会参加が、インテグレーションというか、社会にあらためて参加してくるということが障害児教育とか障害者問題の中で言われるようになってきたのがやっぱり80年代の後半以降だと。やっぱりそれ以前とは違う問題の質って言うか、あるいは取り組みの質っていうのが、一つの領域だけじゃなくていろんなところから共通して出てきていたということがあるんじゃないかと思うんですね。

 どういう特徴があるのかと考えると六十年代から七十年代の社会運動って、自分がそのただ中にいたわけじゃないので断定的な言い方はよくないですけれど、例えば高校増設の取り組みにしても保育所作りにしてもあるいは学童作りにしても、それから公害問題にしても、問題解決を行政とか企業に要求するというんでしょうか、別に自分たちは何もやらないというんじゃないんですけれど、ただ、「お前らの責任だろう」というふうに問題を突きつけてゆく形で運動が取り組まれていたんだと思うんですね。だから学童とか保育所というところでも、最近ここ数年間、ちょっとまた動きが変わってきていると聞いていますけれども、この時期はずっと一貫して公設化というのが第一目標になるというか、一番遠い、一番まっとうな目標として掲げられるということがあったと思うんですね。

 それが八十年代半ば以降の社会運動っていうのは、別に行政や企業は何もしなくて良いということではもちろんないですけれど、ただ問題解決をしろというふうに要求するのではなくて、自分たち自身が問題解決のための実質的な活動を行う。要求することが運動の内実ではなくて、活動することが運動の内実、というふうに変化してきているというふうに考えるわけです。これは別に私だけでなく、いろんな人が言っていることだと思います。どうして必ずしも公設事業として引き取れという要求のスタイルを取らなくなってきたんだろうな、ということを思い返しながら素朴に疑問を持ったり問いを持ったりするところがある。例えば不登校の子のフリースペースにしても、そういうものをとにかく行政で作れ、という要求の仕方にはならなかったんですね。それは何でなんだろう。そんな形で作られてきてた「新しい社会運動」っていうのは、フランスで言われた言葉のようですけれども、日本でも「新しい社会運動」ってそれを言ってもいいのかも知れませんが、それの持っている特徴は例えばボランタリズム(自発性)であるとか共助性(お互い助け合う)、あるいはネットワーキングということで政党のような包括的な団体があってその下にこんだ・・・(?)ができるんじゃなくて、対等平等な形でお互いにつながりを作りあっていく結びつきあいの形式とか、そういったいくつかの特徴があって、これらを総合していくと結局新しい自分たちのセクターを作っていくという方向にその運動が動いてゆく結果になったんだろうと思われるわけです。だから日本の第三セクターは八十年代半ば以降の社会運動の持っている特徴が基盤を作っていったということになるんじゃないだろうかと思っています。

 ところがその力学だけでNPOはできあがったんじゃないだろうと思いますのは、先ほどの「c.行政改革」というところなんですけれども、年表がレジュメの後に付けてあるんですけれども、ちょっとだけそれを見ていただくと、一番右端がNPO法ができるまでの極々かいつまんだ流れになっているんですが、1994年のところに「市民活動を支える制度をつくる会シーズ結成」ですとかが出ています。1994年ぐらいにこれだけじゃないんですけれど、いくつかの動きでこういう市民活動に対する社会的な支援を作っていこう、みたいな動きはでているようです。その次の年の1995年一月に阪神大震災が起こるわけですね。一月にそれが起こると二月には早速「ボランティア問題に関する関係省庁連絡会議」というのが作られたりですね、シーズいう前年に作られていた団体はボランティア支援立法の要望書を首相に早速提出したりですね、同じ二月のうちに与党のNPOプロジェクトチームができたりするわけです。パタパタっと1995年二月に動きがあって、1995年から1996年にかけて各党、これは本当に全ての政党がNPO法案を作るようになってくる。1997年に法案が実際に国会の中で審議される形で提案されて、何回かの国会を継続審議になったりという形でやり過ごさざるを得ないんですけれど、1998年3月に成立する、ということになったんですね。この時期が行政改革の流れで見るとどういう時期になっているのか、というのが年表で言うと一番左側の列のところなんですが、1997年十一月に自治省通知というのが出ています。これが「新自治体行革大綱」と言われているものですけれども、「地方自治・新時代に対応した地方公共団体の行政改革推進のための指針」といって、「自治体行革大綱」は1985年、年表では一番上の方に書いてありますけど、これが一番最初で、二回目が1994年十月に出されているんですね。1994年の十月に出されているのが1997年十一月にもう一回出されている。これはかなり異様なことで、各自治体が「行革大綱」をかなり形の整ったものを作るんですけれども、いろんな自治体のを見ていると、1994年十月に自治省の通知が来るから1995年ぐらいにバタバタっと動いていて、実際にできあがるのが1996年ぐらいになっていて、だけども1997年十一月にはまた次のものがでているから、ほとんど1995、1996年あたりに作ったものは日の目を見ることなく反古になってもう一度作り直すという感じになっているんですね。すごく変な感じを資料を見ていても受けるんですが、1995年、1996年、1997年の三年間で、自治体の財政が急速に悪化したということの一つの政策的な表現というか、どう引き取ったかということの善し悪しは別ですが、かなり大きな状況の変化があったと認識したということだと思うんですね。1997年十一月に新しい自治体行革大綱が指針として出されて、1998年から各自治体がまた新しく動き始めるわけですが、この時にちょうど時期を重ねて1997年十二月に「行政改革会議最終報告」が出ています。この中で「民主導の原則」というのが確認されるわけです。「民主導の原則」というのは理念と言えばただの理念ですけれども、八十年代の半ば以降の行政改革というのはやっぱり民間活力の導入だったり、あるいは自治体が抱えなくてもいいものは外部に委託するという、だから基本は官・公(おおやけ)で一定の周辺的な部分は外に出していくという発想だったわけですよね。それに対して1997年十二月の段階ではっきり出されたのは、基本は民間がやるんです。で、民間ではできないものを行政がやる。そういうふうに主客が転倒するということなんだと思うんです。だからこれ以降は、どういう事柄が外部化していけるかという発想ではなく、民間がやってくれるというものはどんどん任せていく。基本的には全部、民間がやってくれる、やれるよと言ったものは。残ったものは行政がやる。そういう発想を取りうる段階になったんだと思います。どうしてそうなったかと考えると、その間に福祉需要の高まりという、少子化だけでなく高齢化も一緒、もちろん。そちらの方が大きかったりするんです。少子高齢化という社会状況が、ある種の新しい公共需要、公共サービスのニーズを九十年代の前半ぐらいに社会の中に提出してくると言うか、立ち上がってくる、立ちあげられてくるのだと思うんです。具体的には保育の方で言うと、1994年十二月にエンゼルプランという「緊急保育対策等5カ年事業」が出ています。そして5年後の1999年十二月に「新エンゼルプラン」というのに引き継がれています。行政の側から見ると新たな公共サービスの需要が発生して、それまでも行政のスリム化、行革、外部化、民間活力の導入という方向でやってきてたんだけれど、それ以上に行政サービスの需要というのが新しく出てきてしまうと、今までの発想だけでは行政がもう一回太らなければならなくなると言うか、行政機能をもう一度膨らまざるを得なくなるわけですよね。でもそれは何としてでもくい止めたいというふうに考えると、今までやってきたような行政のスリム化の発想だけではもう切り抜けられないという判断になるんだろうな、と思うわけです。これは別に誰かが具体的にそういう文章を書いているというわけではないんですけれども、状況証拠的に見ていくとそんな感じがするよな、ということなんですが。それは1997年十一月、十二月あたりのもう一回改めての行革の再設定のようなことになって、そのことと1998年3月にNPO法が成立するということが直接的に行革推進の人たちがこれを駆使したという、自民党などの流れの中ではそうですけれども、その流れだけでNPO法ができたわけではもちろんありませんが、こういった時代の動きがNPO法をプッシュする方向に働いたのは確かだと思っています。

 レジュメの二ページ目にいきますと、九十年代半ば以降の、具体的に言えば自治体行政が極端に逼迫してくる中で、行政のスリム化、外部化がそれまでのようなお題目や命題、あるいは指向性ということを越えて、すぐに手を打たなければならないような問題に転化した。その際に、私は読んでいて頭にきちゃったものがあるんですけれども、地方自治経営学会というすごい胡散臭い学会があって、そこが八十年代半ばぐらいから三回ぐらいに分けて「公民のコスト比較」、公と民とのコスト比較という調査をやってるんですね。1995年に出たのが二回目の調査報告で、三回目の調査報告は2000年に出ているんですけれども、これはどういうものかというと、民間委託をしたらどれくらいコストが安くなるかという調査です。だけどサービスは低下するんじゃないかという疑問があるということで、サービスは本当に低下しているだろうかということを聞いているわけです。で、サービスは低下していないという結論になる。だけど誰に聞いたのか、どこを調査したのかということは何も書いていないんですね。だからこれは学会と言えるんだろうかと私なんかは思うんですが、いろんな人が胡散臭く思っているんですけれども、行革を進めていく上では一つの引用的な役割は果たしてきたところのようで、そこが1995年の段階では、NPOは民間よりもさらにコストを安く委託に出せる、いいぞ、そういうみなし方をしているということがあります。民間よりもさらにコストが安いということはある意味で、本当の所であろうと一面では思われて、なんでそれがそういうことになるのかと考えるとちゃんと理由があると思うんですね。要するに第三セクター事業体というのはそこで働いている人とか活動に参加している人が、使命感(mission)とか自発性とか生き甲斐とか、そういったものを含めて自分の仕事に対する対価を受け取るわけですよね。だから生き甲斐も何もなかったら、一時間千円だってやりたくないや、なんていうことがあるわけですが、生き甲斐を感じられる、すごくやりがいを感じられるという場合には一時間七百円ぐらいでもそれで文句は言えない、言わないでおこう、という気持ちになったりするわけですよね。第三セクターの職場というのが、シャドウワークというんですか、不払い労働が極めて起こりやすい必然性を持っていると言えると思うんです。良い悪いは別にして、客観的に言えば、コストが安くてよく働く、そういう職場が生まれやすい。しかし実際にその職場で働いている人たちの実感としては、そのコストの安さは望んでそうしているということではなくて、むしろ自分たちの活動を維持するためのぎりぎりの現状であって、この現状を前提にしてもらっていいなんて思っていないはず、なわけですね。

 だけど、さきほどの地方自治経営学会みたいなところの発想で言えば、民間よりもコスト安くて委託に出せる、つまりそれを前提にできると見られるわけです。どうもやっぱりNPO法が成立したというところに問題が、なんて言うんでしょう、うまい表現が見つからなかったんですけれども、問題が「すり替え」と言うか「すれ違い」と言うか「せめぎあい」と言うか、そう単純じゃない部分があるなぁと思わざるを得なくて、一つは新たな公共需要が、公共需要という言い方はあまり良くないかも知れないんですけれども、みんなで何とか解決しようと思うような問題ですね、そういうものが発生して、その発生した事柄に対する一つのしっくりくるような対応の様式が第三セクターという事業の領域を生み出していったという側面が一方にあって、その活動に参加している側の視点から見れば、自分たちが活動を積み重ねていくことによって、その仕事が単なる私的な、プライベートな活動じゃなくて、ある種、公共的な仕事なんだという社会的な認知を徐々に社会に向けて広げていくというか、社会にその認知をさせていくというか、それをレジュメでは公共性を構築してゆくという言い方で書いたんですけれども、自分たちが仕事を積み重ねていくことによってその仕事の持っている公共性というのを社会的に確立していく経過的な段階にある、その途上にあるというか。これは一方の文脈ではあるのに、もう一方では既存の公共サービス、社会運動の側から言えば新しい協同的に解決しなければならない問題ができたことがきっかけになってなわけですけれども、行政改革の側から言えば既存の公共サービスを外に出していくっていう、そのひとつの相手方として第三セクターが認知されるようになってきた。しかも、その時に例えばこの地方自治経営学会というところは教育では保育所と学校給食、警備員という三つのものを民間委託できるんだということをずっと十五年ぐらいエキセントリックに言っているわけですけれども、それは彼らの発想で言うと公共性が比較的低い領域だと見ているわけですね。公共性が高い領域はやっぱり行政が握るのだと。もっとも中枢にあるのは外交問題とか軍事だったりするんだと思うんですけれども、公共性が比較的低い領域はその順に出していったって良いんじゃないかと。これは発想が転倒しているというか、活動している人たちの側からすれば、新しい問題に対応していくことで公共性の領域というものを新しく創り出していくという途上に第三セクターが位置づいているのに対して、行政改革の文脈からすると公共性の低い問題は外に出していく。出していくにあたっては、当然のことながらあまり公共性を高く見ていないわけですから安く出せるとありがたいわけです。そこにある種のズレというか、NPOというセクターがどういう方向に向かうかということでは複雑さがはらまれているように思います。

 実際にそういう状況に対してどのように動いているかということを見ても、NPOセクターの内部でも階層性というのがあるように思われて、自分たちの資金力とか人材力とかが豊かにあるようなところは、あまりこういうズレに対しては敏感には動かない。だけど公共性が認知されていくことでようやく自分たちの仕事も増えるようになっていくんだと思っているような人たちは、この問題はないがしろにはできないんだと思うんですね。今はNPO内部での闘いみたいなものってそんなに表面的にはなっていないと思うんですけれども、利害の違いみたいなものはこれから出てくるだろうと。ここまでが教育と言うことに関わらずNPOという領域が今立っている場所はこういうところなんじゃないかって思っていることなんです。

 今度は教育NPOの立っている固有の位置というか、場所ということで少し問題をしぼって話したいと思うんです。ここでも歴史性というか、ここまでの約十五年間ぐらいの動きを見ていく中でそれが分かるんじゃないかと思っているんですが、確か地教連が個々の塾の活動を越えて連絡協議会というのを作ったのが85年だったと思うんですけど、それはそうですよね。それいつだったか?確かね、私そういう記憶だったんです。東京シューレと同じ年だというふうに。佐藤さん知らない?矢沢さんも知らない?みんな知らない!(笑)

矢沢

 地教連そのものはあったんじゃないかな。

平塚

 地教連そのものはあった。集まりを持ったのが85年ぐらいということですかね。ちょっとその辺、不確かなこともあるんですけれども、八十年代半ばぐらいの時期からさっき不登校の子のフリースペースができるようになったと言ったわけですけれども、この時期っていうのは一つ教育事業の中でも新しい状況が生まれた時期だと思うんですが、いわゆる受験競争っていうのを見た時に、一元的受験競争圧力が最も強くなったのが八十年代の半ばなんですよね。具体的には大学への合格率の低下を見ればわかるんですけれども、つまり浪人輩出率なんですけれども、それで見ると七十年代半ばから大学は設置抑制されて、大学の間口はボトルネックというか瓶の蓋を閉じられたような形になっていて、その上で十八歳人口が八十年代の半ばがピークになるんですね。

佐藤

 85年でした。第一回の地教連の交流集会というものが85年。すごいね。はい。

平塚

 はい。しかも女子の大学進学率は上がるわけですね。むしろ八十年代半ばに。そうすると誰がはじき出されるかというと男がはじき出されるわけです。で、はじき出された男の子達は一種の集団的な行動として私立にだんだん押し寄せられるようになってきて、だから東京大学での合格比率というのが公立高校から首都圏の私学の中高一貫校にシフトしてくるのが八十年代半ばなんですよね。客観的な状況で見ると、いわゆる一元的受験競争圧力が最も煮詰められた形であったのが八十年代の半ばであって、しかも体罰と人権といった子どもの人権に関する研究会というのが生まれたのが1984年ぐらいなんですね。八十年代の半ばというのは校則とか体罰とか子どもの人権のある種の圧迫されたような状況というのが、これも「コンデンス(condense)された」ようなと言うか「煮詰められた」ような形で噴き出してくる時期、すごく学校がきつい状況だった時期だったんじゃないかなというふうに思ってたんですけれども、そういうことがあってもう一方で彼らの生活を支えているコミュニティーが非常にきつい学校を相対化できるようなつながりを持てているかというと必ずしも持てないような状況、地域社会というコミュニティーの中でも共同性というものがなかなか機能しないということが同時にあって、そういう重なり合った事柄の中で学校のような制度空間に今すぐに何か要求しも実現されないような協同的な教育機能というか、人と一緒に育っていくとか関わり合いを大事にしながら育っていくとか協同的な教育機能を担う主体が制度空間の外に生まれる。だから地教連の活動というのはそういう歴史的な位置に立ってたんだろう思っているんですけれども。その後の流れとの対比で見るといくつかの条件を基盤にしていたと思うんですね。一つは制度空間が一元的で非常に強い制度的な秩序を持っている、それが疎外性が強いというかな、それがまず一つ条件としてあって、もう一つはそれに関わる人たちの一定の生活上の安定とかですね、時間的な余裕っていうか、これは個々の人はそれぞれの事情がありますけれども、社会全般の流れで言うと八十年代半ばというのは日本社会富裕化の起点だというふうに言われていて、それでバブル経済に入っていく直前ですからそういう意味での瞬間的な余裕というんでしょうか、そういうものが相対的に言えばあったでしょう。

 これが九十年代の前半に入ると変わるわけですね。三つぐらいの点で変わるんだと思うんですが、一つは一元的な競争圧力がほころぶ。これはかなりはっきり少子化によってほころぶんで高校受験で言うと89年以降で大学受験で言うと92年以降、ガタっと変わりますね。大学の合格率っていうのは毎年毎10%近くぐらいづつ上がっていくっていうのが2、3年続く。それまでのようなきつい競争っていうのではなくなる。だからといって人間がゆったり生きられるようになったという意味ではないですけれども。もう一つは学校という制度空間の秩序性っていうものが揺らいでくる。これは92年に不登校や登校拒否についての文部省の通知が出されたというのが象徴的なことなんですけれども、そういった子ども達がいるということを社会全体としてやっていかざるを得ないというふうになってきたわけです。それと同時にポストバブル期っていうのは、92年以降ですけれども、あらためてバブルがはじけたところで勝つ人負ける人というのがはっきりと出てきたんですね。階層の分化があらためて進行するということもある。階層の再分化というのは抽象的に言ってもイメージがわかないんですけれども、家計消費という年報のようなもので調べていたときに、所帯を五つにクラスを分けるんですね。第一組、第二組、第三組・・・というように、所得階層で五つに分けて、一が一番低所得で五が一番高所得なんですけれども、八十年代末、五年置きにデータを見たら九十年から九十五年のところで現れている変化がそのうちの高い方ですね、四、五の違いが小さくなるつまり違いが縮まる。それと二と三の間が開く。一、二、三、四、五と均等に並んでいたのが一、二と三と四、五というふうに別れる。これは特に教育費支出ではっきりと現れている。それと私は今、埼玉の方で地域調査みたいのをやっているんですけれども、住宅の変化というのを見ていると八十八年から九十二年のバブル期というのがものすごくはっきりと住宅移動が増えるんですね。しかも市内での移動ではなく広域の移動が結構増えるんですね、県内移動というのが。それが九十二年以降になると移動率がぱたっと落ちてですね、特に安定した層と最も困難な層が動かない、動けない。真ん中の層だけが動く。階層が固定化されていくというかな、そういうことが住宅の移動という点でも出ているんじゃないかなということを今グループで話しているところなんです。そういうのは一例ですけれども、社会の中での人間の暮らしが新たな段階を迎えるようになって、一つには八十年代後半以降の例えば地教連の動きを支えていたような社会的な条件が変化が起こっている。一元的な非常に強い制度的な秩序がだんだん弛んできちゃう、ほころびてきちゃう。生活の安定や余裕も引き裂かれてくるというか、そういうものを持っている人と持っていない人に引き裂かれてしまう。条件が変わってくるということなんですね。あるいは不登校の居場所は緊急避難的に八十年代の後半以降に出てくるわけですけれども、それが恒常的なそれ自身が制度化していくというでしょうか、そういうふうになっていくこととか、もう一つは、制度空間から自主的に外に出てしまうことができる自立した市民層がポストバブル期にはっきりと生まれてくるのではないだろうか。自立した市民というのはNPO業界の一つのキャッチフレーズなんですけれども、私はすごく胡散臭く思っている言葉なんですが、教育の世界に限って考えると自立した市民層というのは要するにわが子の人生を抱え込めるだけの家庭が文化資本を持っている層なんじゃないかと思うんですね。そういう層が「学校なんか行かなくても大丈夫」「学校だけが人生じゃない」とパーンと言ってしまえる。大体の親はそういうふうに言ってあげたくても心の中で葛藤がいっぱいあるわけですね、「本当に大丈夫だろうか」という。でもそこをサッと言ってしまえる、そういう市民層が生まれてきつつある。

 九十年代の後半以降になるとさらに状況がはっきりしてきて、学校という制度空間は成立困難になっていて、調査なんかで見ていると底辺校と言われる困難校ですよね、困難校の学校がいわゆる荒れていた時期というのは八十年代の半ばで、九十年か九十一年ぐらいになると荒れなくなる。荒れなくなってどうなるかというともう秩序が成立しないと言うか、組織性が成立しないと言うか、具体的に言えばクラブ活動とか学園祭とかが機能しなくなってくる。荒れていた時期にはまだ対抗文化というのも作られていたんです。対抗するような文化も生まれない。そういうことが九十年、九十一年ぐらいの困難校の学校の記録なんかを見ていると出て来るんですが、それが九十六、七年ぐらいになると小学校まで降りてくる。学級崩壊というのは九十七年ぐらいに出てくる現象ですけれども、そのひとつの現れが九十年代前半に高校の困難校にあわれたことが次第に全体に行き渡るという経過だったんじゃないかと思うんですけれども。それから子育て、人間の自立の困難化が、マスコミだとかの影響もあって、見えるようになる。育児不安、りく・・・(?)、引きこもりとかそういった言葉が見えるようになる。それから階層分化の明確化というのは、教育社会学の人たちの調査が二年ぐらい前に出て、八年ぐらい前ですが、そこではっきりと面白い結果が出ていたと思っているんですけれども、受験競争に乗る層と乗らない層が社会階層とある程度相関している。はなから降りちゃう層が困難層と直結していて、こんなに競争秩序がぐずぐずになってもそれでもまだ競争秩序に乗って何とか有名大学へという、そこから降りない層が階層的にもある高さに規定されていた。しかも勉強する時間が全体としては学習時間が極端に減ってきているなかで、競争から降りない層の勉強時間はそんなに落ちていない。勉強をする層としない層にはっきり別れていて、それが社会階層と対応している。高い方の階層は未だに競争にしがみつくというようなタイプと自立した市民みたいになっていく層とに、また中で分解しているんだ、というふうに思うんですけれども、そういうことが調査の結果から出ていて、ヤバイんじゃないかということを教育社会学の人は言っているんだと思うんですけれども。そういう中でいくつかの新しい活動、運動があらためて生まれつつあるように思います。

 一つはオルタナティブな教育空間の形成とか、ラーンネットグラーバル、ブレインヒューマニティ、ドリームプラネットとか全部カタカナなんです。名前からしてもいかがわしい感じがしたりもするんですけれども、真面目に取り組んでいる活動だとは思っているんですが、そういうものがガタガタっと九十六、七年ぐらいからでしょうか、出てきた。で、日本型チャータースクール推進協議会、これは去年からなんですけれども、こういったものも出てきている。教育空間そのものを制度的にオルタナティブなものを作っていこうという動きが一つあって。日本型チャーターというのはこれはなかなか単純にものを言えないんですけれども、ラーンネット、ブレインヒューマニティ、ドリームプラネットっていうのはですね、これは明らかに自立した市民層の組織化という形を取っているな、と私が見ている限りでは思うんです。

 二つ目は子育て、自立の困難化っていうことで言えば、子育て支援、支援という言葉はとってもおかしいと思うんです。子育ては共同的なものなんだから誰かが誰かを支援するというのは。括弧付きですけれども、そういった支援とか青年の自立支援とかの活動ということで、これは第二セクター、第三セクターが混在して色々な形で出てきていると思います。

 もう一つ、これが私は割と面白いと思っているんですが、学校を支援する活動というんですかね。よく知られているものでは秋津コミュニティーなんていうのは授業をやっているわけではありませんけれども、あそこの活動ですね。NPOメタセコイアの森というはホームページなんかで見ているだけなんでよく知らないんですが、これは総合学習とか環境教育なんかの授業を売っているんですね。企業じゃないんですけれども、授業プロジェクト、教材を開発して学校にそれを提供する、みたいな活動を環境教育なんかを中心にやっている。あるいはコンサルタント会社も総合学習、進路指導などに踏みだそうとしているようです。

 こうやって見てくると状況としては二つぐらいのことがあるなぁと思います。一つは学校、家族、企業のトライアングルでおおよそ八十年代の半ばぐらいまでは完結していた一つの人間形成のシステムというのがあったと思うんですが、それが良くも悪くも機能不全に陥ることでそれを補うべく様々な代替的な機能が生まれている、そういうところに今あるのだろうと。そのなかには一旦崩れたものをもう一回、今度は教育の公共性を豊富化する方向で再建していこうとする、あるいはそういう方向に持って行き得る活動もあれば、逆にそれを縮小していく方向に働く活動もある。もう一つは、先ほどの階層分化ということと関わって、教育事業に於ける第三セクターが、階層性を帯びつつ形成されたような状況にあるんじゃないか。ここは機械的な書き方をしているので問題あるんですけれども、あえて言えば一つは自立した市民層が自分達の層内部で教育要求を組織化していくというそういう活動が一つある。

 もう一つ、一定の経済的余裕を持ち、その上で個別的に解決できない困難を持っている層の組織化。これは引きこもりを支援する活動の対象になっている家族であるとか、フリースペース全部をひとからげにはできないんですけれども、こういったところに

平塚

 そうやってみてくると最後に時間にも経済的にも余裕を持たない層が今、おそらく制度空間の中でもそういう人たちは生きづらいはずなわけで、だけど同時に制度の外の市民社会の空間にはどういうふうに参加できているんだあろうかっていう。a、b、c、っていうのが割と目に見える活動としてある時に、dはどうなっているんだろうというのが気がかりに思うんです。それと市民社会の活動が層化されていくということをどう考えるかということも一つある。

 最後にどう対処していくかということが話のたたき台としてと最初にもうしましたので三点ほど書いたんですけれども、一つは市民性と地教連などが大事にしてきた協同性というのとが重なる部分と重ならない部分をどう考えたらいいか。今、自分たちが活動していくにあたってはどういう層、どういう暮らしをしている人たちの思いや暮らしに依拠して活動を作っていくのかっていうことには意識的、自覚的である必要があるということが一つ。教育活動の中では自ずから理念化されている人間像や社会像はあるわけで、ブレインヒューマニティというところのホームページを見ていた時になるほどなと思ったんですけれども、そういうところで暗黙のうちに想定されている人間像、社会像はタレンテッドな人間っていうでしょうかね、才能を持つ、その人の持っている才能を開花させるそういうことを重視していたり、これからの混沌とした社会を自立して生き抜いていける人間像を予定していたりするわけですよね。それは良いんだろうかということを、むしろそういう社会の息苦しさをある意味では突いていく活動をしていく必要があるんじゃないか、とそういうのを見ていて思うんですが、そういうことと関係していえば協同性に依拠した活動を展開していくにあたってオルタナティブな教育空間を作っていくという運動の方向性を今、辿って良いんだろうかと。これはわかりにくい書き方をしているんですけれども、例えば日本型チャータースクール推進協議会みたいなところに地教連のようなところがどういう関わりを持っていくのか、いかないのか。そういう具体的なことを考えてこういう話になったんですが、この辺は後で議論ができるといいと思いますけれど。ここは具体的には話さないで後で議論の時にとっておいた方がいいと思うんですが。

 九十年代後半以降のところでいえば、今、制度的空間自身が成立困難だ、という状況に今あるわけで、それをどうしていけばいいのかというのが一つの社会問題として今起こっていると思われるわけです。具体的にいえば、総合的学習の時間、学校五日制、学校評議委員制とか否応なく学校外の人とか動きが学校の中に流れ込んでいくというところに今あるわけで、制度的空間を守るとかそれを維持するとかいう意味じゃなくて、自分たちの空間自身を再構築していくということに制度の外で第三セクター的な事業をやってきた人たちがどう参加していくのか。そういうことが一つ今問われていることとしてあるように思います。実際に総合的学習のノウハウを学校の先生方はあまり持っていなかったりするわけですが、こういう活動をされている人たちは具体的イメージを持っているわけですね。それを制度的空間の再構築にどうつなげていってあげるのかあげないのか。八十年代半ばの制度的な空間と市民社会空間の権力性と今の状況は相当違うと私は思っていて、八十年代半ば頃はぶつかっていったってびくともしない壁、みたいな印象があったんですが、今は、はなから壁がない、みたいなところがあるわけで、そういう状況の変化の中でどう活動を方向付けていくかということがある。

 二つ目は第二セクターと第三セクターの関係ということだと思うんですけども、子育ての再協同化、青年の自立の再システム化、教育機能の担い手が学校に極めて閉じられていた状況から教育機能の担い手を再定義していく、そういうことはいづれも私たちの時代が直面している歴史的な課題だと思うんです。そう思うとそこがいづれも今うまくいっていないというか、一旦ほころびちゃってるという状況にあるわけですからそれをひっくり返して考えれば、そこにふんだんな公共需要があることは確かでそこを誰が主導権をとっていくのか。佐藤洋作さんたちと関わっているカンパネルラとかスクールトゥワーク事業に関わる中で痛感するのは青年の自立支援の動きが草刈り場のような状況になっているというんでしょうか。そこを商売にしようという人がいくらでも参入してくる状況にあって、ということはある程度ここに公共需要があるとみなされている。草刈り場のようになったところをどういう発想を持っている人たちが主導権をとっていくかというのは、運動の課題なんじゃないかと思うわけです。

 最後に三つ目ですけれども、本来的な意味での公的教育機能をどう再構築していくか?というぜんぜんよくわかんない書き方をしているんですが、先ほどの階層性を帯びた第三セクターが構成されているんじゃないかということでいうと、bとd、cとdなど個別的に解決できない困難を持っているというのは経済的な余裕を多少持っている層だけなんだということはないはずなんですね。学校ですごいいづらい思いをしていたりする人たちにはもっといろんな意味で二重三重の困難を持っている層のなかにもそういうことはあるということですとか、地域社会での様々なコミュニティー活動への参加みたいなこともそういうのに加われないと何だかだんだん遅れをとっていっちゃうっていうことをわかりながらも、そう簡単に身動きままならないという生活をしている場合だってあるわけですね。私たちの大学でも話題になったのは、日本育英会の育英奨学金というのがあるんですけれども、これは有利子というのだと3%の利子が付くんですけれども、月額十二万ぐらい最大で出るのかな、これを家族が生活費に充てるケースが今、増えていて、借りるにあたって本当に返せるのか、ということを大学がかなり真剣に聞かないとならないような状況になっているんですね。今、育英会の奨学金の返済率というのを大学ごとにはじき出していて、返済率の低い大学にはあんまり出さないみたいなことをいってるらしいんですね。だから大学としてもちゃんと返してくれる人たちに貸さないとならない状況に置かれていて、だけど有利子でもいいから借りたいなんていうのは経済的に余裕のある子じゃないんですね。3%ってそんなに安い利子じゃないですから、そこまでしてとにかく今現金が欲しいという層がそこに借りに来るわけです。そこに借りに来る学生さんが四年間借りると八百万円ぐらいなんですね。わかってます、自分は卒業する段階でそれだけの借金を抱えて、大体一年間に九十万ぐらいかな返すのが、わかっていますといって借りてますけれども。つまり大学に来ている層の中にもぎりぎりで来ているな、と感じる明らかにそういう人たちがいてそういう意味では、自主的、自律的、自発的な地域活動だというだけでいいんだろうか、ということも思うわけです。そういうことをやるのはおかしいという意味ではなくて、それだけで良いのかなと思うんですよね。そうするとbとd、cとdをつないでゆく活動をしていくためにはどうしたって行政と関わり合いを作っていかないとできないだろうと。自律的、自発的ってやっていく分にはこれはなかなか動かないものがあって、そこをどういうふうにやっていくのか具体的なことがあって言っているわけではないですけども、そういう課題があるんじゃないかと。いろいろ言葉足らずのところがあったかも知れませんけど、一応以上で問題提起を終わらせていただきます。ありがとうございます。(拍手)

佐藤

 八十五年をターニングポイントという、平塚さんからずっとそういう指摘があって、小金井学習センターは85年だったっけ?

口山

 86年。

佐藤

 86年。父母参加の塾作りも行政としてこういう状況で初めて可能になってきたな、と読んでいて、そういう意味で85年というのは当時からああそうなんだと納得しながら聞いていた指摘なんですが、それと九十年代の新しい教育状況の中で八十年代状況の中で出てきた市民層、市民層に依拠した第三セクターの成立、それに依拠した運動と制度的な教育空間そのものがおたおたになって第三セクターが一人歩きしていくことの持つ、極端なことを言えば反公共性というか、場合によってはそういう事態も生まれるんじゃないかとという危惧も含めて、新しい情勢の中で既存の教育運動とどう連携していくかという問題、階層性の深化の中で置き去りにされていく階層と第三セクターの運動はどう共同化していけるのかというような問題。歴史的に俯瞰して問題提起をしていただきましたけれども、とりわけ戦略のところで出てきている課題、おさらいを含めて、感想、九十年代状況が今自分たちのまわりの実践、家庭の中にどういう形で生まれてきているか少し返してもらってですね、感想並びに平塚さんの整理と重ね合わせながら自分たちのまわりにある状況を少し出してもらうというところから始めていきたいんですが良いでしょうか。では感想を含めて発言がありましたらお願いします。質問も良いです。はいどうぞ。

広瀬

 学習センターなんですけれども、最後の方で新しい公共性の問題を触れられていたかと思うんですが、公共性の方に関してはどこを見ても自分の範囲で見る限りは希望がないと言うか、公共性のところが拡大していくっていうのはあまり望みがないみたいに感じているところがあるんですが、希望があるとすると自分がそういうことをやっているからそう思うのかも知れないけれども、今やっているNPO活動ですとか、そういうのは一回公共性がずたずたになったところで、下から市民運動の中でこれはやっぱり公共的なことじゃないかという気運、社会の雰囲気が生まれてきたときに初めてまた公共性ということが社会の課題になっていくという可能性があるのかなぁと思ってたりして、どちらかと言うと今公共性はどんどん切り崩されていく方向なんで、それに関しては自分なりにはそんなふうに思っていたんですけれども、そのことに関してはどう思われるかなということと、最初にあったように今NPOに風が吹いているというのはあると思うんですね。助成金が今も拡大している状況というのはたしかにそれはあるなと思うんですが、そういうのは不思議なぐらい広がってきている面があるんでこれは政府が今ひとつのポイントとして政府の力で力づいているという面があるとか、いろんな企業なんかが財団を作って助成金枠を作っているわけだから、それが「いっせいのせ」で始まっているようなところもあるので、ずっと昔からやっているところもあると思うんですけれども、それが規模を拡大したりだとかまたは復活したりだとか、そういうものを感じるのでそれは政治的な力が働いているのかどうかというのは知ってみたいと思うんですが。

佐藤

 さっき講演の中にもあったと思うんだけども、もう少し補足的にその辺いいですか。

平塚

 はい。後の方のことでいえば、さっきの年表の中にもちょっと書いてあるんですけれども、ここのセンターも助成を受けている社会福祉医療事業団でしたっけ、あれは1997年にできてるんですよね。公的財源の配分の仕方が大きく今変わってきていて、公的負担をするという負担をするという発想ではなくて、公的助成をするという補助金行政に公的財源の配分の原理というのが、流れとしては変わってきたと思うんですよね。補助金を受けるような事業というのが、ある見方をすれば膨らんでいると考えられると思うんですね。その分、負担という形でこれまでなされてきていた例えば保育業界なんかははっきりそうだと思うんですけれども、そういうところは逆に切り詰められている。だからお金の配分原理が変わってきているというのは明らかに政治的なものだろうと思わざるを得ないというのはありますよね。だけどもう一方で、私はえぇって思ったのは、調布にあるNPO法人にお話しを伺いに行ってたんですよ。そこにお話しを伺っていたら、助成金申請を出しても出しても当たらない、だけどこちらのセンターでは撃てば当たるみたいなね、全てが当たっているわけではないと思いますけれど焉A割と出すものが通ってますよね。その違いは何なのかなと考えさせられていて、追い風とはあまり思っていないNPO法人も あるんじゃないかと思うんですね。いろいろあるようだけども自分たちには無縁。なぜかは良くわからないんですが、でも一つ推測されるのは、今日は話の中で全然触れられなかったんですけれども、ここに集まってきている方達がなさっている活動というのは、もう結構歴史が長いわけですよね、蓄積が。十五年とか二十年とか。人が変わったり多少仕事の質が変わっていても相当の蓄積と経過があって、私が伺った調布のNPO法人は去年、全く一人から立ち上げた、自分がね、作り上げちゃったというところなんですけれども、そういうキャリアの有無が助成金を得る際の信頼性に影響を及ぼしているんじゃないかと考えさせられたりもしたんで、そこはまた別の問題かなっていうふうに思います。

男性

 民間の助成団体が増えている。助成を受ける側だけでなくする側も増えているっていうのは何かご存じですか。

平塚

 増えている理由?

男性

 メセナは一回・・・・(?)

平塚

 そうですよね。

男性

 また新たにNPO助成が増えて来ていますよね。

平塚

 そうですね。計算してみないと実量自身がどの程度増えているのか、形の上だけ増えているように見せているのかということがちょっとそこはわからないんですね、私も。経団連とか経済同友会とか、いわゆる経済団体が今回の2000年のNPOの優遇税制を議論するときに相当はっきりとそれをプッシュする方向に動いていたんですね。経済団体自身が寧ろNPOをもっと社会的に押し上げていく方向に動かすアクターにはなっている感じがする。実際上はほとんど意味のないような優遇税制にしかならなかったですけれども、もうちょっと経済団体が要求していたのは実質性があるようなことを要求していたんですよね。むしろそういうところが第二セクターと第三セクターの奪い合いを意識して、足を引っ張るというような方向ではなくて、むしろ支援していくという方向に動いているというのはある。一つめの公共性は切り崩される状況が今の段階であるという

男性

 感覚です、感覚。

男性

 乱暴にいえば守るより作った方が早いんじゃないかっていう議論ですよね。

男性

 社会の雰囲気がマスコミなんかの操作もあるのかなとも思うんですが、そういう雰囲気も含めて、今何しろ公的なものは壊す段階みたいな社会的雰囲気を感じちゃうんですけどどうですかね。

平塚

 あ、そういう意味か。公的なセクターの

男性

 これまで作られてきたり守られてきた公的なセクターは、全部一回グローバリズムに参加して(?)、それでやっていこうという社会的雰囲気があって、これは逆に公教育の基本は守っていけとか、保育園のこれを守っていくときも、市民に対してのそれがぼご(?)になってしまう状況が作られているなと。これはどうすればいいかと考えたときは一回、没団体(?)にされちゃうしかないのかな、っていうそれはちょっと乱暴だけど、例えば三鷹市何かで言うと保育園を安くするという論議の中では企業が公的な保育を実績もないのにになっていくとういことがおこってくるわけだから、そう言うのを目の当たりにするなかで、もう一度市民が公共性って何だろうってことを考え直さなきゃいけないんじゃないかというためには、そういうステップが必要なのかなと勝手に思っちゃう。

平塚

 それは議論になる話ですね。

男性

 新自由主義的な論者、大沢さんなんかもそういう論だよね。血を出した方がいいと、そうしないと鍛えられない。公共性の担い手を鍛え直す意味でもリスクを背負った改革が必要だみたいな、そういうことでしょ。

男性

 平塚先生は最後の方で、もう一度公とは何かということをみんなで考え直さなきゃいけないとおっしゃっていて、みんなでもう一度検討することから始まるということではどういうアプローチが可能性としてあるのか、今はなかなか議論からして、これは公共性てきなことだからみんなで守っていこうという議論がしづらい社会的雰囲気じゃないかなと思うんですけど。

平塚

 どうなんでしょうね。寧ろ他の方が今のことに関して発言していただいた方がいいと思うんですけれども、さっきの戦略というところの一つめで、制度的空間の再構築にどう協同していくかということで。私もこの辺はよくわからないというか、なやましいなぁという以上のところはなかなかわからないんですけれども、教育の世界でいえば学校というのが外から入っていくことで内実をかなり引っかきまわすことができるような状況も一面ではあるように思うんですね。一旦チャラにしちゃうというか、リセットかけちゃうみたいなことの含意だと思うんですけれども、私はこれがいいって固く信じているっていう意味じゃなくて、どう考えるかなっていうなかでの思っているというレベルですけれども、学校の中にもっと市民セクターの活動主体が入り込んでいってそこの主導権を自分たちがとっていくっていうと変ですけど、リーダーシップをそこのなかでも出していくようなリセットのかけ方もあるように思うんですね。本当に悩ましいのでよくわからないんですが、例えばアメリカのチャータースクールのことなどと対比的に考えると、日本の公立学校とアメリカの公立学校、特に義務制の学校の場合、すごく社会的な位置の違いはあると思うんですよね。アメリカの公立の学校の場合、教員の社会的な位置って極めて低いですし、ある意味でものすごく貧しい教育をしてきていたっていうことはあるんですよね。しかも生活指導的領域はほとんど抱え込まずにやってきてますから。だからそれと対比すると日本の学校というのは社会的な位置も高いし、教員の社会的位置も比較的高いし、しかも良くも悪くもいろんな機能を抱え込んでかなり必死になってやってきていたところがありますよね。だからこそ、非常に固い制度の壁を作ってきてしまっているという一面もあると思うんですよね。よくわかんないなっていうのはそういうのも一面であるからなんですけれども、もう一面で今学校の先生方のおかれているミゼラブルな状況っていうのかな、自分たちの仕事に自信をなくして、社会からの批判にびくびくしている。日本の社会が積み上げてきた歴史的遺産みたいなものをどう総括するのか、っていうところに私たちが立っているような気がしていて、それを雑に総括してはいけないのではないか。守るとか維持するとか励ますとかいう意味ではないですけれども、一旦全部チャラにしちゃったほうが良いんじゃないかみたいな世論の暴走みたいなものに対してはもう少し丁寧に考えていく必要があるんじゃないかっていうことを、教育事業に関わっているような人たちの内部から出していく必要があるんじゃないかと思うんです。

男性

 今の議論に関連して、わかりやすく言えば制度としての学校と我々はどういう連携をしていくのか、あるいはしないのかを含めて自分のところの問題意識や状況を出してもらえますか。

男性

 新しい公共性のところで思ったんですが、今私、大和で共同ルール検討会議っていうものを去年の十二月から市長の諮問機関で委嘱という形で活動して月大体本会議が一回で部会っていうのが二回あって座長が千葉大の先生で副座長がまだ若いお姉ちゃんで横国の先生なんですけど、この中で我々は条例を作っていくというのが我々の仕事なんですけど、その中で一つのスローガンとして「新しい公共を作っていく」というテーマで共同ルール検討会議を立ちあげて、今度の木曜日の日に条文の主体は誰で客体は誰でどういうようなところまでコミットしていくべきなのかということを今やっている最中なんですが、公共というのはコミュニティーがどういうふうにやっていくかとか、大和市の中だけで通用する電子マネーを採り入れて、良いのか悪いのかわからないんですけれども、ボランティア活動をしたら大和市の電子マネーをあげるとか、大和市の中だけで使える電子マネーだとかコミュニティーバスとか市民病院の改革とか。その次の段階で学校評議委員制とか学区の自由化も平成十五年度あたりから見直していこうっていう見通しをたてながら、新しい公共ということで今の先生のお話しじゃないですが、チャラにするんだったらまだ良いんですがグチャグチャにしていくんじゃないかなっていうような、それでいて我々は何を目指していくのかって言うとやっぱり便利であるとか生活しやすいっていう目先のことばっかりを与えながら後で本格的な改革が始まっていくのかなと。今日参加したのはそういう条例作りをやっていくなかでどういうようなことに気を付けなきゃいけないのかなって。取り込まれていく自分の姿っていうのははっきりわかっているんですけれども、それが心地よく生活しやすくなるからいいんだろうなぁと思ったりもするんですけれども、何か注意する点があったら。

男性

 NPOを作って一年経たないんだけど、中野でも行政五カ年計画ということで行革。それに対してNPOを作ってから行政の方でも色々コンタクトが来るわけですね。そのなかで一つ事例としては青年館っていうのがあったんですが、行政五カ年計画で潰す、廃止するということで実は僕たちの成果の中には青年館の運営とかも入っているんですけれども、それが成果もなくなるわけですよ、それ潰されたら。その青年館を市民のものに取り戻すということを考えて一つはある程度批判されることもあったんだろうけど、中学生の勉強会するって言ったんですね。どういうことかというと中間考査、期末考査の時、十日間ぐらい借りるわけです。勉強の場として提供するわけ、中学生に。だけどこれは学校のやることだと、NPOが委託機関になるんじゃないかっていう批判もあったんです。だけど僕たちは青年館を維持するために一つの手段として中学生の勉強会をしたわけ。現に勉強会を去年初めて期末考査でやったんだけど、のべ九十人ぐらい来ているわけね。また明後日から中間考査だからまた一週間ぐらい借りるんだけれども、そういうのを作って行政とのコンタクトのなかで行政の委託機関ではなくてこっち側のポリシーを持ってお互いに喧嘩やるときは喧嘩やる。また本当に行政の方で色々援助してくれるなら一緒にやろうということで、行政とどう向き合うかというのがこれからのNPOの課題になると思うんだけど他からみればNPOが行政の委託機関化される、それに対してちゃんとしたポリシー持ってやらなきゃいけないということはわかるけど、そういう点でこれから色々試されると思うのね、行政とNPOとの関係が。これから試されるであろうけどいろんな運動を通してNPOと行政機関、特に学校の関わり合いでは、そういうチラシを持っていった時に学校とのつながりはうまくいったというか、これだと校長が全部ビラまいてくれるみたいになってね。学校の中もいくらか入っていける、僕たちがね。夏休みはサッカー教室を学校を開放してやるとか、去年は別の団体でやったんだけれども今度はNPOで委託してやるということでいろいろ作っているんですけどね。これから公的機関とNPOがどうタイアップして、ポリシーを持ってすすめるかといことがこれからの課題になるんじゃないかなと思っているんですね。

女性

 平塚先生のお話しを伺っていて、私たち中野子ども空間がa、b、c、dのどこに入るか、たぶんdに入るのかななんて言ってたんですけれど、日常的にやっていることがどういうそうの人たちがいるのかななんて思いながら聞きました。実を言うと助成もお金もない団体なんですよね。そのなかで地域の施設をどう有効利用していこうかというがありましてNPOを作る最初の時もここにいる桐島先生に来ていただいて、青年館もらいたいよなとか学校もらいたいよな冗談ぽくそういったアドバイスをいただいて。地理というのと地域という言葉のズレとかね、市民というとあまり地域に根ざしていないような、ただその地域を生きている人っていうような、私なんかからするとネガティブな感じがあって、地域で根ざした活動をするというときに中野区の場合には行政が住民参加条例みたいなもので、例えば施設を利用するに際してそこに運営協議会というのがあると運営委員になるとか、住民協議会っていって住民の意見を区が参考にするという話し合いの会を中野区が住民センターの中に十五カ所設けていまして、そういう場所に日頃思っていることを自由に話し合いができるという場があるわけです。そういうところに参加したり、準公選のときに教育フォーラムというのがありましてその時に意見を言った結果お知り合いになった人がいたり、地域で自分たちが活動していく中でネットワーク作りをしてきたり、地域の人々が使えるように手助けするというよな。私たちはそういうふうに進めてきた結果例えば青年館であるとか学校の施設を利用するということになるんですが、もうひとつ児童館が日曜日に休館してますのでその児童館を何とか自分たちの力で開けるということを二年ぐらい準備期間としてかかりましたけど、認めてもらったから法人が認められたみたいな、できたてのNPOってそういうことありますよね。そういう中でNPO自身が大きく三つの施設の利用を進められてきた経緯がありました。

男性

 ほかにどうでしょう。地域の取り組みで学校、といっても学校作りで苦慮している組合の先生たちとの関わりと学校行政との関わりとは違いますか。スタンスも違うし。個人として学校の壁を越えて入っていく、PTaとか一市民とかいうのと、塾やNPOという団体としてどうパートナーシップを組んでいくかということはこれは違う気がして、ここのところはいつもゴチャゴチャになってしまうんだけど少し整理していかないと地域ということのどこを議論しているのかが仕分けして議論しなくちゃいけないと思うんですが。

男性

 ・・・地球市民・・・現場組織でそこで呼ぶと校長やら教頭やらみんな並んでご挨拶があるんですね。そういう時期に毎年関わってまして今年は判で押したように地域地域。一番最初に協議会を始めたの・・・・制度が変わるってこういうこと・・・文部省やなんかの方針が出てくるとこういうふうに自治体が変わってくるんだなと感じるような印象。ただ暇で自分が役所からちやほやされてるだけで満足するような人が出てくる可能性があります。そういったときに本当に子どものことを考えて、一緒に語ってくれるような方が協議会に並んでいてくれないと子どもたちの今っていうのが良くならないなと思いますので、我々の届く範囲内はしっかりと関わっていきたいと。私は保育をやっていたので組合関係の方に呼びかけたこともあるんですけど、本当に行政以上に組合関係の方っていうのは呼びかけても、本気になってつき合っていこうとすると方針があるからということで、非常に苦い思いも。そういう思いを教師の方もしているんで・・・どう変わったのかなと。中野区は行財政五カ年計画の中であっちもこっちも全て一刀両断みたいなやり方でしたので、我々もあっちもこっちもしっかり運動していきたかったけれど、運動をそこだけしかできなかったという感じで。

平塚

 中野の子ども空間の場合には学校運営連絡協議会っていいましたっけ、東京の場合は学校評議委員会という言い方をしないと思うんですけれど、そこのメンバーになってくれとかそういうのはまだ?

男性

 それはまだ何も。ただ始まったらすぐやりますなんていう挨拶がポンポン飛び出してきたんで。

女性

 校長先生からそういう言葉として。

男性

 二、三年前にその話が出たときにね、我々もうまくいったら入れるのかねぇ、とにかく入れる方法はないかなぁ、という話は当時はしたことはあるんですけど、あまり積極的に話が出てくることは。今年は子供会のメンバーは学校の教頭なんですけど、各学年の学級に全部・・・普段から真面目に論議して、若いお母さんにちやほやしているような人だったら・・・活動をしている人と違って、実質的な活動を一緒にしてあなたたちが主役だから、子どもの教育は私たちは後援であってあなた達が主役なんだよということを常にいわれていて。ただいそがしいし子どもに翻弄されてますので我々が動いてますけど、・・・長年やってきた・・・。

男性

 ありがとうございました。時間がなくなってきたので、ここで塾というところに特化して議論したいと思うんですが。というのは地域の教育に関わる人間として、NPOの分野は比較的行政と接触していく部分があるんだけど、塾としてこの流れに乗るとしたらここに書いてある危惧ですね、教育空間形成の方向を辿るのかということですよね。学校と違うもう一つの教育空間を自立化させて、学校と競合関係になるという構図の中に方向性をとるのか、従来の公教育という枠の外にいて隙間産業になりながら学校の補完という関係を平和的に維持していくのかという問題ですよね。色々な形で教育改革の中でも出されているオルタナティブな教育空間とどういう距離をとることによって、風を、皆さんご存じのように地教連の塾に連絡しても青息吐息ですという返事が返ってくるわけだよね、経営なんて続くかわかりませんと、折角の蓄積や地域でやってきた取り組みが潰れていっているわけですね、問題意識や実績を次に生かしていくかというときになかなか先が見えてこない、そうするとチャータースクールなどがイメージとして、ああいけるじゃない、というイメージが来るんですが、その辺の状況やこの流れの中でそれをどうみたらいいのか、桐島さん、発言をお願いしたいんですが。

桐島

 戦略をどう構想するかという認識なんですけど、僕は品川区なんですけど、自発的、自主的といった言葉に対する戦後一貫して警戒をしなきゃいけないと言っていた政治勢力があると。しかし今、僕は自分の地元しか知りませんけど、そういうものに警戒を発してきたところが対行政との関係では蚊帳の外に置かれて、それとも自分から出てしまっているのかとういのはありますが、むしろ自立した市民ということを主張している人たちが寧ろ新しい関係を行政と作り始めている。そういう認識と平塚先生がおっしゃったことはまた少し違う、僕が誤解をして考えているのか、ちょっと聞きたいなと。

男性

 それ先。自立した市民のどこに焦点を置いてそれとの距離の形成を言うことと、言い続けた連中が蚊帳の外に行っちゃって全然次の関係が見えてこないという、何をイメージしていっているのかということを含めて。

平塚

 桐島さんが「教育」という雑誌に原稿を書いてらしたんですけど、それに品川の青年達のことを書かれているんですけど、その内容を詳しく言えないんですが、そこで想定されているのが何かここで授業やっていけないかと考えている青年達の生き様っていうかな、生きている様式っていうのは自立した市民というような人たちが作っている文化とも違うんじゃないですかね。と問いを投げ返してしまう。

桐島

 僕は個人的には自立した市民というものの中身に・・・考えたいと思っているんですけど、レジュメでいわれるa「自立した市民」のような、二層の教育の組織化に対抗する時に、実は僕らも同じじゃないだろうかと考えていて。

男性

 さっき佐藤さんから塾のことについての話なんですけど、同時に平塚さんに言いたいことも。僕は大田区でやってますが、最近感じているのは苅谷剛彦さんなんですが、学力低下問題にかなり怒っていまして、苅谷さんは新学力観が導入されて、平塚さんは苅谷さんの調査のことかなと、階層の上の方では受験に対する意欲を強めている。階層の低い方はそこから降りるということにしてしまうということで、皮肉な結果を招く。僕は当たっている部分があると思う。意欲を含めて子ども達がゆがんだ状況になっている中で、塾が学力高めをやることは公共性がある。学校の補的な集まりであると言葉でいわれても、子ども達の勉強を、中学生でも分数計算ができないかけ算ができない漢字の読み書きもできないことつき合うことは、めちゃくちゃ公共性があるなと思いながら仕事をしている。そういう中でつかんだことを学校との関わりで感じることがありまして、一つは大田区では今学校統廃合問題が大きな問題になっています。二年間の審議会を行って、昨年十月に統廃合する学校の校名を決定して、当事者の意見をほとんど聞かないまま、来年四月に一つの学校を四つに分解したり、一つにしたりという乱暴な計画なんですが、そういうところに参加していますと、僕らが塾でやっている子どもとの会話や学力高めは確実にお母さんの会話などに生きてくる、リアリティがあるんです。塾という仕事について、八十年代で壁として見えていたものが壁とさえ見えない国家というような話、僕は地元にいると行政というのは大きな壁だと思うんです。自分たちの都合のいい計画に対してはNPOに対しても選んでくる。団体や個人に対しても選んでくる。それは大きな壁です。今例にあげた統廃合の問題では、住民の保守的な人たちと一緒になって闘っています。僕は桐島さんとは違う認識を持っていて、蚊帳の外に置いた側が割を喰うという状況を我々は作らなくてはいけない。今、国民、住民は認識を高めている、学習してきていると思うんです。それを信頼しなくては。教育として全うかどうか、正義か不正義か、住民は一生懸命見抜く努力をしているということがあるんです。品川のいろんな調査をみても、自由化を進める方の策動はね、その意図通りに貫徹しているとは思わない。確かに市民層の中にはそれに乗ったりすることもあるかも知れないけど、それに対するしたたかな意識に軸足を置いて育てていかないと自らのアイデンティティを失うんじゃないかと思います。

男性

 わかるような気がするんですが、しかし壁が見えないことによる空気のような支配の網の目のようなものが巧妙に創り出されてきているように思います。それが僕の意見であり質問です。もう一つは平塚さんがはじめの方でおっしゃった学校作り運動とか学童保育とか保育所作り運動、フリースクール、居場所作りの動きを対比してその違いに触れられたと思います。確かに違いもあると思いますが、僕は共通点として行政が本来果たさなければならない役割を十分果たし得ていないところで、積極的にそうしたのではなくそう選択せざるを得なかったという側面をきちんと見ておかないとまずいなと。NPOの話と関わって、NPOの中には俺らは勝手にやるからお前たちも勝手にやれというNPOがすでに存在していて、行政とタイアップして積極的に民間委託に乗るとか、そういうNPOがすでに生まれ始めてきているということがあるから。そういうNPOが生まれてきている中で、行政そのものが欺瞞というか戦略というかそういうものを突いていかないと、人間の発達とか生活、保障といったものが守られるというところにはつながっていかないんじゃないかなと思います。壁が見えないということはそういうことなんだと。

男性

 時間がちょっと。これはなかなか議論がつまらなくて我々の塾はどこに向かってスタートすればよいのかというところにぜんぜんいかないんですが。大状況の話でなかなか前に行かないんですけど。今森さんから一つは、新しい九十年代的状況というような平塚さんが指摘されたようなことは本当だろうかという問題、品川的なNPOネットワークの桐島さんの問題意識に関していえば、人生からはじき出された部分にこそ依拠して運動を構築すべきではないかという立場の明確性を打ち出しながらむしろそういうところに可能性があるのではという指摘。平塚さんどうか。

平塚

 はい。さっき私が話したことは不確かな言い方をしてしまって。制度的空間というのは行政一般というよりも学校制度というつもりでいっていたんですけどね。例えば学校と地教連の塾との権力的な関係がこの十五年で変化しているところがあると思っているんです。学校が八十年代半ばに人間らしい形で機能していたわけでは全くないんですが、競争の圧力、秩序の一元性といった点で、人間疎外の内実を持って非常に強い制度だった。だけど制度的にも秩序的にももはや成立しないという弱い制度に学校という制度空間がなってしまっている。にも関わらず、東京の場合は教職員組合も特殊な状況があったり、行政も特殊な状況があってその中でグズグズになってしまった制度をものすごくハードに守ろうとしてたりという、屈折したことがあるんですよね、だから単純じゃないです。だけど全体としては制度的空間そのものが非常に弱まっていて、それとの対比で言えば経営が大変だとかいうことがありながらも、その中で十五年間で培ってきた教育力量というんでしょうか、そういうものを対比したときに今であれば、そこはある意味対等に、これがある種の官民パートナーシップなのかも知れませんけど、パートナーを組めるぐらいの力量を総体的な変化の中では今持っているんじゃないか、ということを言おうと思ったんです。その上でそれがどうかということはあると思うんですけど。桐島さんのって言うと、桐島さんこの後たぶん名指されると思うんで。前段で言えば、私も官僚制に対する向き合い方、これまでの制度的空間に対する向き合い方ということで言えば、一種の新自由主義市民と地域作りをしてきた共同的市民みたいな人たちが連帯を組んで、例えば情報公開のような壁を抜けていくとか行政の市民参加の道を作っていくとか学校評議委員みたいな形で学校に入っていくような回路を作っていくとか、そこは連帯できるということはいっぱいあるわけで、かつての保守と革新であるとか、ナントカ政党とナントカ政党のように原理が違うから何事も一緒にできないという関係では全くないと思うんですね。だけど今のままで行くと、共同できる部分があるといことだけでやっていくと、やっぱり権力的に力を持つ者が勝つということです。特に市民社会空間の中で権力を持つ側が勝つというふうに私には思えるんです。そこに人間像、世界観、社会像という点で言えば、新自由主義市民なんてないと思うんですけどそういう言い方を敢えてすれば、今の企業社会が多国籍化してきている中でなお日本経済を勝ち残らせていこうということで、企業をリストラクチュアリングしていってそこで生き残れるある種の労働者像を想定しているところがあって、そういうところに自分たちは乗っていこうというか、そういう社会を担える人間になっていこうというそこでの神話性はそういう層の持っている教育理念や教育意識の中にあると思っていて、それが社会の原理になってしまうような社会を作っていく方向に自分たちが荷担してしまうと、それはとにかく生きているだけで人間は値打ちがあるとかね、一人でなんか生きていけないんだという価値観、人間同士の関係のあり方が貶められて行くんじゃないか。一緒にやれる部分ときっちり闘わなければならないところを再構成するというのかな。そこは具体的に考えていくとすごく難しかったりするんですけど、そういう必要があるんじゃないかということを言おうとしたところを雑な言い方をしてうまく表現できていなかった。そんなことを言いたかったなあって。

男性

 時間もだんだん無くなってきたんですが、昨日も不登校の子を持つ親の会をここで延々六時間話し合っていくなかで、たえずこちらが親たちとどういう共同を作っていくのかという問題提起をやっていないと、わが子の不登校という学校からのリタイアという経験を踏まえて初めて見えてくる共同の質を整理しながら共有していく作業を丁寧に丁寧にやっていくと、お父さんが一人言ったんだけど、市民社会の中の一人一人は共同が遠いんだよねというわけだよね。お父さん自身はフリーランサーで自立した市民の典型のような人で、そのお父さんのおかげで親の会がメールでつながれるような新しいツールも使える現代的な力をもった人なんだけど、彼自身が共同を問題提起して地域の中に於ける共同に対して目線を持てるようになる作業そのものを組織していかないと共同は生まれてこないだろうと、質の問題が生まれてこないだろう、あるがままのものをつなげるのは難しいだろうと。感想でね、そういう感じがしますけど。桐島さん、最後にさっきの問題提起、対抗と共同の問題を具体的に品川の状況ではどういうふうに?

桐島

 平塚先生が今、私が言ったことに対して答えていただいたことは大切だと思うわけです。その上でしかしどういう枠組みで戦略を立てるかという時に、もっと長い議論が必要だと思いますけど、僕はそれ以外の所を知らないものですから特殊品川的なことを述べますが、階層間の共同という問題に関して言っても、行政や企業、品川には大企業からちっちゃな町工場までありますが、そういったものとの関係の取り方にしても、僕の整理されていない言葉で言うと少し枠組みがないと進まないという実感があるんですね。特にc、dあたりをこの人達の所でまわっているような人たちがこういうまず活動自体の中で共同できないし、力を持てない。僕がいつも言っているんですがお互いが自分たちの主張をくり返すだけで一向に共同的なものにならない。そこをなんとか変えたいという問題意識はすごくあるときに、その時にお互いをつなぐ言葉はなんだろうかということを考えなければいけないなと思っているわけです。おそらくその時にどういう言葉を、僕のイメージで言うとネットワークとネットワーク、共同的なネットワークを広げない限り対応できないと思うんですけど、お互いが違ったオーエスでね、ネットワークを作ることにはならないというふうに考えると、何らかの言葉や基本戦略みたいなものを確かめ合いながらイメージを共有、それは本当に地域ごとだと思うんですけど。言葉が適切かどうかわかんないですけど、NPOの問題も実はね、すごく恐いのは、どっちに舵を取っても恐いというかね、反対して自分たちが本当にうまく仕事で食っていけるのかということが心配だし、かと言ってのっかっちゃって下請け化されて、これだったかっていうかね。究極の選択でどうしようかって。そこには本格的な社会民主主義的な政党がない、政治政党がないからなんだと僕は思っているんです。社会民主主義も議論のあるところですけど、少なくとも新自由主義的なものに対抗するような勢力が育ってきて良いんじゃないかと思っているんですけど。こういうものを形成しない限り、平塚先生が一番最初に言われたNPOの行動っていうのは本当に安上がりになりやすい、構造的にそういうものを持っている。これは駄目だという判断は運動だけじゃなくて、平塚先生もそう思っていると思うんですけど、政治的にルールを決めるっていう話じゃないですか、ただ今決められないから。NPOの抵抗を我々が考えようとしたときに、本当に究極の選択で平和的なことを維持して飯が食えるのかという話とますます自由化したときにどうなっちゃうのかというか。それはすごく大変な問題だなと思っています。僕は・・・すいません。

男性

 時間が来てしまいまして、課題をもう少し焦点化しながら議論を進めていきたい、具体的な事例を出しながら、ケーススタディもしながら、どう特化していくのか、どうアイデンティティを確立していくのか、どう相互に活動そのものを保障し合っていくのかというところまで話が本当言うとできる力量を持たなくてはいけないんですが、そういう新たな複雑な情勢、困難であると同時に一つの芽もあるんだけどそれがどこに行こうとしているのかまだわからないというときに、もう一度、議論、研究、相互の経験交流、ができる会にもう一度もっていけたらなぁと思います。先ほども総会で月一回の常任会議を研究会的な色彩を強くして、地域で持ち回りで呼び掛けながらレポーターも決めてですね、しばらくこうしたテーマを深めていって、我々塾運動のアイデンティティとゆくえみたいなもの、その中でチャータースクールの議論も取りあげていくことになるかと思いますけど、各地域の取り組みのレポートをそこにもっと出していきながら、平塚先生や桐島先生というその線のところでの援助をしてもらいながら研究会を進めて行きたいと思っているんですが。一回の学習会ではこんなもんかなと思うんですけど、最後にこれだけは聞いておきたい、議論したいというのがありましたら出してもらって今日のところは終わりにしたいと思いますが。エルムから一つも出てないんだけど、質問なり問題意識なりを最後に言ったらどうでしょうか。

矢沢

 エルムは品川にあるんで、桐島君が色々状況も知っていると思うんですが、品川は教育の問題、学校選択制の問題ということではずっとなっているんで。ただ、その問題が進むことと自分たちの塾がどういう道を選ぶかということはまた独自の位置があると思うんですね。特に品川の場合、エルムのすぐそばにある・・・では今度、学校が終わってからスマイルスクールということで学校が塾をやるんですよね。六時まで。たぶんそれは、エルムをねらった塾潰しと学童を潰そうというところにあるんじゃないかと、一般の学童の父母会の人なんかは真面目に言っているようなことです。たぶんそれがずっと来るとね、実際には小学生のところが今度塾に行かなくなると。中学生は今度どうなるかというと、さっき言ったように二局分化して上の方は進学的な塾に流れ込み、下の方は塾にも行かないと。勉強しなくたってとにかくどっか行ってりゃいいというところにもっていこうという品川区の腹も見えてきてるかなというふうに思っていて、その時にエルムの立場としてチャータースクールを目指して新しい学校を作るのはどうなのかとか、教育NPOとして塾というそのものがどういう位置としてある程度できるのか。それだけではなくて僕らあるのは、教育NPOというところで考えると佐藤さんがさっき総会の中で言っていた、エルムの子達が育った中で今度成人したときにね、地域の中でどうやって彼らの働く場と成長の場というか、保障していく地域を作れるかという、塾だけじゃない、地域をどういうふうに構築して新しい地域作り、仕事作りができるかと考えているところなんで、今の話も聞いてもうちょっと勉強して、そこらへんは桐島君とよく闘ってですね、話を整理したいなと思っています。すいません。

男性

 最後はさきほどの第二セクターと第三セクターのせめぎ合いということで一歩前進しないと産業に喰われてしまって教育産業の株式会社が来ちゃうということになるということで。これの中に書いてあるのはエーエムピーエムに対する助成金でやる事業です。厳しさを生きる青年達対して他の共同の団体とネットワークを組みながら社会参加の仕組みを作るという問題意識を持った各界、各分野の人が集まってネットワークを作ろうというのを何年も前からやってきている関係の中での話ですが、6月2日にここで大学生協の関係の人とか、労働者協同組合という労働者が出資して仕事を作る全国の運動団体とか集まって話し合いをしますので興味があったら参加して下さい。こっちはヘルパー講座なんだけど、日本財団からお金が百万円ほど出て、地域で不登校の子、引きこもりの子、中退の子ども達に社会に関わっていくきっかけとおまけに三級の資格をという感じで青年ともう少し上の人たちと若い勉強嫌いの人たちと組みながら、講座をやって講師を地域の看護婦、医者、ホームヘルパーの人に来てもらって、実習もそういうところに行きながら青年達と地域をつなげていくという講座をやります。NPOは結構便利ですよ。そういうお金はまだとれるし、出せば。引きこもり、不登校の自立、そしてNPO、地域作りとか国際協力、そういうことを書いてバーっと出せば通りますから。だいたい通る用語があるわけです。ま、一人でやってるとかは通らないですよ。一定の規模がないと。何十年とかね。会員が何百名とかね。そういう形を作らないと金が出てこないし。だからそういうのは作文して勝手に作っちゃえばいい。(笑)もう六時になりますんで尻切れ蜻蛉の終わりですが、

男性

 地元で訪問ヘルパー講座を開いて、そこは生協として認可されて、福祉法人として事業委託したので、そういうところをいっぱい作りながら自分のところで出口のなくなった子どもを振り込んでいこうかとか、既存の運動とどれだけ手をつないで、向こうはもう十数年間の歴史と福祉事業を展開してきたことで東京では生協として認可された団体ですから、そういうところと手を組みながら僕らの周りにいる子ども達の出口をどう作っていくかという。自分たちだけでは限界がありますよ。地域と結ぶ、既存の運動と結ぶ、それが共通の共同で生きあっていくというテーマでどれだけつながるかということだと。行政との関係は最後でしょう。行政は一番難しいなと思っている。仲間内でどれだけそういうことができるかという闘いかなと。それは一つ仕事場が増えたなと思ってるんですが、世田谷区が委託できたんだけどそれが増えていけば送り込めるかなと。でも全ての子どもが福祉をやりたいわけではないですよ。全ての子どもが福祉をやりたいならこのまま一直線で行けば良いんだけど、福祉は子どもの出口に一つにしか過ぎない。福祉は時代の流れで追い風だし、ヘルパー講座という自前のプログラムを作ってその延長線上に仕事場に送り込めるという一貫性があるんですよね。ヘルパー講座で四月から中学生の三級をやるんだけど、彼らは三日も続かないですよ、三回も。勉強も頭痛くなりますから、もうずっとやってないですから。それから一つ成功しているのは、大人も受講させて隣りに生徒として。中学生と一緒に今日の勉強は面白かったねとか、ノートとった、見してあげようかとか、二人で受講させて両方とも資格が取れるというようにして卒業させたものと一緒にやっていこうかとか。国分寺では行政から百万円が出て、一人ヘルパー講座をやると三級で四万円ぐらいかかりますかね、二級で八万円ぐらいかかりますから、それを自分のところでやると医者も作業療法士もみんな父母とかにいるわけだからそれに金をもらって運営費にまわして自分らでやるということをやったらどうか。ネットワークで講師陣は集められますから。福祉の資格だけとって福祉の仕事に就かなくても良いと、もう一回学ぶことを身体が思い出すためにはかなりいいんじゃないか、順序を踏んで学んで行くわけですから、職場体験や社会参加もするし。今、一人の子どもが二級でね、学ぶってなぁにとかもう一回社会参加するってなあにとか、十五歳の高校に行っていない子が来ていて、そうとう励まさないと難しいです。福祉は一つあるでしょう、社会的に状況が広がってきているという気がしますけど。

男性

 仕事ということではないですけれど、僕らのところで高齢者施設を作るという運動があって、法人格で認可されて建物を建てるから、・・・・。お年寄りだけを建物に閉じこめるんじゃなくて、子ども達がそこで一緒におれる場所があるというのは発想としては面白い。それがみんなの納得を得られるかどうかは別として、そういう視点は大事だと。それが続くかどうかは別として、そういう場所があってもいいなって。僕らが最初に居場所を見ていたときは、建物があって、僕が住んでいるところは田舎なもんだから土地はどこかにあるし、建物を建てて。お年寄りが車を押して散歩するよね、で今は車に椅子が付いてるじゃない。出会った人と道の端っこで座りながら話をしたりするじゃない。最近は喫茶店がたくさんあって朝はお年寄りばっかりなんですよ。ああいう場所っていうのは、自前で欲しいねって。地域のお年寄りの人たちが集まってくる場所があってそこがたまたま不登校の子ども達の居場所でもあり、地域の不登校の子ども達の親世代の人たちも集まれる場所が欲しいなって。最初のスタートで話し合ったことがあって、老人の施設を作るんであればついでだからのっかっちゃおうかと。発想としては面白いなぁと。たまたま地元の教育長が去年変わって、教育長がうちの塾の子のお父ちゃんだったもんですから、個人的には親しいんですけど、どこらへんで突破できる根拠があるのかなと。

男性

 社会教育が盛んに接点を求めてきているんですが、学校教育は全く音信不通なんですが。社会教育は我々はどういう協力をしたらいいかということを言っているんだけど、黙って金を出せとは言ってるんだけど。彼らは福祉切り捨ての受け皿として我々みたいなところを、だからその時NPOって言うと呼びかけありますよ。呼びかけが来ますけどどういう連携をするかということになると、向こうもわからない、こちらも要求しても必要な金が社会教育から廻ってくるとは思えない。場所を貸すとかいうことはほとんどクリアされそうな気はしますけど、社会教育の分野。今日来ていない中野のサンゴさん、彼のところはNPOにしてかなり中野市が行政の側が福祉切り捨てで青年館というのを作ったんだけど、昔ね。働く勤労青年もいなくなって青年館が空いちゃってるんですよ。かなり立派な施設なんだけど、それを事業委託するという話が来ていて、その受け皿としてNPOを探しているっていうことがありますね。品川は保育園がNPO探していないの?

男性

 まだだね。品川の場合は住民そのものがNPOの連絡会があって三十団体ぐらいかな。いろんなNPOが横の連絡を取ってるんでまたちょっと違うんだよね、それぞれの。

男性

 事業委託という形で場所を提供して、人件費を若干補助するというのは今後社会教育から出てくるという、すでに出てきていると思いますが。

女性

 衛星都市では池田市が児童館をNPOに委託してる。二月から予算が通ったって。四千万の半分で委託しているらしいということで。池田市は日本の中でも大きな赤字を抱えていて、経済企画庁の指導が入っている中でNPOに委託いこうという動きは今出ている。

男性

 子どもの自立支援というのが事業委託に出たんではないですか。

女性

 ・・・子ども文化協会がほとんど決まりの状況で受けているみたいですね。働く場が奪われるということで自治労かな、組合との折衝があって状況が変わってくることで逆に働く場を奪うというところがあると。

女性

 私の仕事は不登校や引きこもりの子とか特定の子どもではなく、学校に行って有名大学を目指している子ども達が会員なんですね。そこから見えてくるのは、不登校でなくても学校に行っている子ども達の切ない思いとか苦しい息づかいが聴こえてくるんですね。それと同時に教師の息づかいというか。会員の中には教師が多いんですけど、とにかくしんどいという。事務所に来るたびに溜息をついているんですけど。今子ども達が抱えている課題を解決して行くべき授業が何なのかを考えて取り組んできて、今ぶちあたっているのが引きこもりの青年なんですね。ずっと辿っていくと会そのものが大きくぶち当たってきている。組織として引き込もりの青年達の居場所とか親の会と組織として作ろうとしていて私に任されている状況なんですけど、不登校の子の居場所はいろんな形でみなさんお作りになられているけど、居場所が元気で明るい不登校生が居場所に行けるのかなと思うんですね。そこにも行けない当事者がいて親がいて、じゃあその青年達をどうしていくか、家族をどう支援していくのかが見えなくなってきているんですけど、三十三歳で自傷行為、自殺未遂をくり返してきていて、塾講師をしている青年と親の会を進めてきているんですけれど、最終的にその青年が言うには働く場が欲しいんだと。行き着くところは働く場所だろうと。具体的に仕事興しをしようという話まで来ているんですね。私がその中で立ち止まるのは、居場所の意味が佐藤さんのおっしゃったうまく行かない自分を受けとめる場所というのはよくわかるけど、そこに来る人たちがありのままの自分を出せる中身の作り方だとか、家からも出れないという青年や家族をどう私たちが支援していくのかというところが先行きが見えない。居場所にこれる人はいいっていう、元気な人の場所になってしまうんではないか、と思うんです。そうでない人たちをどう支援していけばいいのかが私たちの問題としてある。

男性

 それはそばに来なくても、どう伝えるかということですよね。十七歳の子の親が相談に来てから、来れるようになるまで三年間かかっているんです。いつ相談に来るかというと、正月なんです、毎年。うちの子どもがどこかに出たいといっているんですけど出ても良いんでしょうかと。明日つれてきますと言って、その朝、駄目です。一年待ちました。また同じ時期にそういう連絡が来る。少し進歩したけどまた一年間待つ。子どもが傷ついて一回引きこもって、もう一回勇気を持って出ていこうとするのはそのくらい大変なことなんだと。来ていなくても彼は、まるまる二年間いつ行こうかとずっと待っているんです、自分の中で成熟させて待っている。本当に来れるかというとまた大変なんですよ。いまようやく化粧して来れるようになった。月一回、化粧して。はじめは五、六年寝間着着て家にいますから着て出る服もないんですよ。それが病人のような顔をしてきて、人と出会って、徐々に。スタッフが化粧してきた二十歳近くの娘さんをきれいだね今日は、って言って受け入れるようになるまで五年かかっているんです。そういう意味では来ていなくてもつながっている環境をどう作っていくかということだと思うんですね。関わっている人が、三年かかって来た子を待っているスタッフがいるかどうかとか。そういう環境をどう作っていくか。スタッフ同士が学習会や意志疎通をするとか通信をずっと送り続けるとか、そういうなかでようやく子どもは勇気を持って次の一歩を出ていく。来たからって元気なわけでは全然ない。来ても大変なことが続くし、二十代の青年達はお客さんとしていると居場所がなくなるので、小さい子の面倒を見るなど自分の仕事がないと居づらくなって、来なくなります。一歩の仕事をどう作るか。無邪気な子どもの方が先に社会に飛び込んでいって、そういう人たちはなかなか飛び込めない。フリースペースでは小さな子どもを見る助手みたいなことをさせるのが多いんじゃないですか。弱者に対するボランティア。うまく自分を表現できなくて繋がれなくてもつながれないという前提で出発できるし、つながれるときの喜びも大きいわけで。つながれないという持て余している自分をみんな持っていますから、つながれなくて当然だというところから楽な気がします。一人の子どもが勇気を持って次をやれるまで時間がかかるなという実感があります。居場所というのはボランティアでは駄目でプロがいないと。やれる人がやれる時にやれることをやるでは、五年も待てないですから。ボランティアで施設を借りてやるだけでは、もう少し腹を据えてやらないと難しいと思います。

男性

 親の会の力というのは大きいわけじゃないですか。僕らのところは親の会が主力なんでもともと親の会からスタートしたんですが、親の会を立ちあげて半年で百人ぐらいになったんですね。ようやく二年過ぎて一人二人と子どもが来るようになったんですよ。今来ている子達も親の会の大きさから比べればすごく少ないんですよね。親が子育てについて思い悩んでいたことを経験者同士が話し合うことでこれで良いんだなと思えるようになっていった親の力はすごく大きい。難しいと思うのは二十八歳ぐらいの青年がいて、中学まで不登校で高校は通信に行って、大学は教育学部で当時は教師になろうと思っていて、教員採用試験はすごく難しくてずっと駄目だったんですね。それをずっと引きずっていて、お母さんも親の会になかなか出てこない人なんで、隣の同級生の男の子が大学卒業後に警察官になるんですけど、そのこといつも親が比較するわけですよ。本屋さんに働きに行って黙って帰って来ちゃうとかね。そういう失敗をすると僕のところに来て話をするんだけど、自分は普通に歩んできた人たちに負けちゃいけないんだというプレッシャーがいつもあってそこから抜けきれない。そのことで彼は苦しんでいて、そういう生き方ではない生き方もあるんだぞと話をするとわかったような顔して帰るんだけど、また試してみてまた駄目になるという経験をここ三年ぐらい何度もくり返してるかな。そういうところは偉いかな。岐阜にシン塾(?)という塾をやっているホリ(?)さんという方がいて、そこはお寺さんの中に泊まれるところがある。来ている人たちは二十代三十代、時にはその家族が来て出社拒否のような形でどうしても行けなくなってね、そういう人たちがそこで共同生活をしながら暮らしているんだけど、ネックになるのは仕事なんですよね。学歴社会の中である程度の学歴、学校歴を持ってきたという意識のある人たちは、例えばツッパリ少年達が土方をやるようにはできないで、プライドがあってなかなか難しいんでね。ホリさん(?)も仕事作りをされていて、ある企業から仕事をもらいながら作業をされているんですけどね。そこらへんはまだ模索のところがあって。

男性

 今家から出れない青年の訪問要求が多いんですよね。友だちを送ってくれないかと、声かけてくれないかと。うちも何人か頼まれて学生が行ったり、結構待ってるんだよ、本当に。嫌だ嫌だといいながら。本当は嫌じゃないというのがあるみたいで、引きこもり十八年という女の子の話を聞いて愕然としたんだけど、十八から三十六まで引きこもり。今でも初々しい十八歳のままという雰囲気だったけど、感性が十八歳のままなんだ。やっぱり引っぱり出して欲しかったと。一人一人ケースは違うでしょうが、機械的に登校刺激は駄目だとかいうことではきっかけがつかめないままでずるずるとくる青年たちもいるんじゃないですかね。圧力のかけ方や距離の取り方は柔軟にしておきながら、情報や呼びかけは社会があなたを呼んでるよと、社会はあなたと一緒に生きたいと言っているよというメッセージは送り続けることはあっていいし、直接声をかけるというのは親が言ってそれから二年経っています。三年目にようやく一人学生が通っています。青年達は自分を生かしたがっているんだ、そのために声をかけられるのは嬉しい。やってみて待っているなという気がします。うちの元スタッフがたまにならいいなということで行かせたら結構待っているんですよ。おとといには初めて駅まで送ってくれたと言っていて、お母さんが電話してきて初めて家を出たと。

男性

 僕は親との相談が多いですね。年間百件以上は直に会いますね。こういう所があると親に言っておくと来るようになるのに五年ぐらいですよ。・・・・担任の先生のスタンスでは子どもは力を出せない。もっと一生かけてやるつもりでね、そういう場所が必要だなと。何を子どもが求めるかは多様で時期によっても違いますし。嫌だと言っていた子でもやっぱりあの人達が一番安心してものを言えるとか、本人も変わる。大阪は駄目だけど北海道ならとか、九州ならとかつながりがあれば。

男性

 以外と地元が駄目なこともありますね。

男性

 そうそう、それだったら離れた方がいい。・・・・早い時期に動ける子がいるんですね、だけど地元じゃ動けない。離れた方がいいこともありますから、大阪のような所では誰が何をしているかわからないですけど、北海道では町がみんなわかっている、だからというね。

男性

 宿泊型はきついという子どもだったら、金はかかるけど新幹線で一週間に一回大阪にやってきて東京に帰るとかね。今、栃木から新幹線で週二回来ている子がいますけど、週二回と言えば一年間ですごい数ですよ。でも栃木のそういう所を紹介してもそこは行かないんです。なじんだ所はきついんですね。そういう費用をどう支え合うかというネットワークも将来的には必要なんだろうけどね。

女性

 ネットワークをコーディネートする人が必要ですね。

矢沢

 地教連ではメーリングリストがあって、情報は登録者には入るようになっているんですね。今後もきちんとできてくれば、うちで抱えているこういう子を受け入れて入れるところはないかということになればね、お互いの連絡ができてくれば大きくなるし。さっきの仕事のことでもね、雪かきを短期で誰かいないかと、不登校の子をいけって言うとね。うちの子達には大掃除をアルバイト代払ってあげるんですよ、ちゃんと。そうすると一生懸命やって、そのお金はみんなでボーリングやカラオケに行くというように使うんですよね。国内なら動けないわけじゃないからそういう形でもできていくんじゃないかと。六時を大幅にまわってますが、何かあれば言っていただいて。一度この場をお開きにしたいと思うんですが。

男性

 カンパネルラのこういうのを入れておいたんですが。今、六号をつくっていて、とにかく八号まで作らなくてはいけないんですが。一つの実験で、これそのものが青年達の仕事場になれば良いなと思っているんですが、一回出すのに百万ぐらいかかるんでページ数を少なくしてかからないようにしているんですが。年間購読者を全国的に募って、千人ほどいると安定的に出されるんですが。千人いればあとは売れなくても赤字にはならないんですが、まだ四百人ほどで赤字がだんだん増えてきて行商して歩いてるんだけどいつまでもつかわからんので。是非協力していただいて、全国の青年とネットワーク組んでいろんな所の情報が集まって、編集委員のネットワークができれば良いなと。子育てやNPOのネットワークに青年を送り込んでミニ交流会みたいなものを全国に広げながら、青年を集めてもらってネットワークを作って、そのネットワークの機関誌になれば良いかなと思って。情報交換ができるようになれば、今日のテーマにも重なってくるのかなと。熊本の女の子から、熊本にはこういう人がいませんがどうつながったらいいんでしょうかとか。そういうのがつながってくればもつかなと思うんですが今のところ、東京の一部の青年達のあがきみたいなものを一部の大人が支えているという感じなんで是非協力をお願いしたい、周りにも広げていただきたい。メールで全国から原稿を寄せている子もいます。そういう記事もたまに載せたりしてるんですが、そういうふうになればいいなと。若者で興味があったら、編集会議に来なくてもメールで来ますから、参加していただければ良いなと。毎回の会議をみんなメールで送りますから、離れてても臨場感があります。よろしくお願いします。

矢沢

 そちらに今まで出ているものや佐藤さんの本も持ってきていますので是非目を通していただいてお気に入ればお買い求め下さい。よろしいでしょうか。

男性

 ・・・書いたんですよ、・・・五百人ぐらいの方々が親も楽しむと。子どもも将来元気になるんだから。親ももっと今の自分を楽しんでいくということがテーマになっているんですね。楽しくないと動けないと、いつまでたってもね。・・・まとめたんですね。子どもの意見だけでなく子どもに関係した広い角度から・・・外国の参考になるようなものも載っているんですけど。

矢沢

 興味ある方はご連絡するようにして下さい。よろしいでしょうか。今日は長い時間ありがとうございました。(拍手)


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